言葉は伝わらなければ意味がない

わたしは言葉というものに興味を持っている。ブログのカテゴリ欄に<言葉>というものがある位だ。
いいなぁ、と感じた言葉はメモしたり、すぐに自分で使ってみたくなる。
「興味を持っている」というよりは、「感謝している」と言った方が適切かもしれない。

2013-04-06 at 18.12.28
【写真/2013年4月6日 ナショナル電気ストーブの裏面のカオ】

わたしの辞書で<言葉>と引いてみると、

人が声に出して言ったり、言葉に書いて表したりする、意味のある表現。

などの他に

必ずしも事実でないこと。

というユニークな意味もあった。

言葉は伝わらなければ意味がない。
辞書にある「必ずしも事実でないこと」という意味も「言葉のあや」というものが有るくらいだからなるほどうなずける。
言葉が難しいのは、人に物事を伝えるとき、特に大事な気持ちなどを相手に伝えたいときだ。同じ言葉を使っても相手が違えば言葉の伝わり方も違う。親友に「アホ」というのと上司に「アホ」というのでは、意味が全く異なる。言葉は大事だ。
わたしは中学生のとき、先生に「バカやろう」と言って怒られた。バカはわたしだったかもしれない。
ただ、先生が怒ったところをみると、わたしの気持ちは先生に伝わったようだ。
好きな人に告白するときは別として、大抵の言葉は多くの人に伝わって欲しいようだ。
「ああ、疲れたー」と独り言をつぶやくとき、本当は世界中に向かって叫びたいのだ。「疲れている人間がここにいるぞー」と。
Twitterでは、多くの人が共感を得ようとつぶやいている。
<疲れたー>とつぶやいたとして、それはわたしの辞書にもあったように必ずしも事実ではないのかもしれない。

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