まず結論から言ってしまえば、わたしのことなのだが、自分で自分を駄目にする人がいる。
なおかつ<自分で自分を駄目にする人>は、駄目にしている原因が相手にあると考えているからやっかいだ。
わたしは仕事上、学生と応対する場面が多い。
先生と呼ばれているわたしは、凡夫ながらも学生を諭すこともある。
「今あきらめたら、これからもあきらめるよ」とか、
「結果はあとからついてくる。挑戦してみたら」などと。
学生に諭したあとには、自分で自分の言った事を考えてみる。
わたしはどうなのか、と。
大抵、わたしも駄目じゃん、となる。
ただ、普段からこうした前向きな言葉を少しでも発しているわたしは良い方かもしれない。もし、別の仕事をしていて、自分の事だけを考えているような人になってしまえば、わたしの人生は今よりも悪くなりそうだ。
ネガティブな言葉が口ぐせの学生がいる。
何もしないうちから「先生。できません」とか、「無理っすネ」などと他人事のように言葉を発する。わたしは、そうした自ら発したする言葉たちが自分たちの首を絞めていることに気づいているため、学生には<自分の発した言葉は自分の脳が聞いていて、やがては自分を洗脳してしまう>ことを伝える。しかし、繰り返すようにわたし自身が凡夫なので、「めんどくさい」とか「まあ、いいか」などと普段から発しているわたしはどうなんだ、ということになる。
気づいていないふりをしていても<自分で自分を駄目にする人>の人生は過ぎてゆく。
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