知らないと気づかないで通りすぎる

知識について:百合の花の香りを知識として持っていたとしても百合の花の香りはわからないし、もしそれが目の前にあったとしても気づかない。
夏目漱石の短編小説に『夢十夜』というものがある。
『坊ちゃん』や『こころ』などとは雰囲気が異なるこの短編は、「こんな夢を見た。…」で始まる十の夢を語った小説だ。


この『夢十夜』の第一夜の夢に、百合の花が登場する。
百合の花の香りは強烈である。
強烈なだけに「香り」というよりは「におい」といったほうがわたしにはしっくりとくる。
『夢十夜』を読む前の日に庭の木の枝を切っていたとき、誤って百合の花を切ってしまった。
あまりにりっぱな百合だったので、持ち帰って家の花瓶に生けた。
その百合は台所に飾られたが、玄関に入るやいなや百合の花のにおいがあたりに立ち込める。
その翌日に『夢十夜』を読んだら、第一夜に百合の花が登場したというわけだ。
第一夜の最後のほうに百合の花が香ってくるシーンがある。百合の花の「におい」を肌で感じられる人はこのシーンで「はっ」とするのではないか。
しかし、このシーンは百合の花の「におい」を体験したことがない人だと何事も無かったかのように通り過ぎてしまうように思う。
知識がないのは犯罪だ、といった人がいたが、体験をしていないのは、自分に対する犯罪でもある。
日常のあらゆるところで、「知識」や「体験」が自分に無いせいで通り過ぎていくものはたくさんある。
文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

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