古くからある矛盾(むじゅん)という言葉に、わたしは惹かれる。
【写真/2012年8月20日 午前10時52分のあさがお】
矛盾という言葉の意味を初めて知ったとき、父親だったか母親だったかに得意げに話した記憶がある。
最近よく聞く言葉は「節電」や「エコ」だが、「節電」にしろ、「エコ」にしろ聞くたびに胸のどこかが痛む気がする。
地球温暖化に一役買っている生き物の筆頭は人間なのだが、その人間が地球温暖化防止と言っている。
矛盾である。
「温暖化防止したいのなら、昔の農耕生活に戻ればいいじゃない、みんなで」
とは誰も言わない。
各国が協調して二酸化炭素の排出量を抑制していく事が肝心である、などと言う。
解決方法は実はみんな知っているのだが、それを実行しないという面白い生き物だ。人間は。
「エコ家電」というような言葉は、上と下で矛盾した言葉をつなげて作られていると書いてあった本があった。
「家電」が「エコ」ではないからだ。電気を使う以上は「エコ」では決してない。
そうなるとわたしがこの記事で「みなさん、節電しましょう!」などと訴えてもかなり矛盾していると言える。
パソコンやインターネットで電気を使い、二酸化炭素を撒き散らしつつ「節電しましょう」と言っているようなものだからだ。
わたしが小学生の頃は30年も昔の話だが、その頃は夏に気温が30度になると一大ニュースとして扱われていた。
現代では、気温が30度をオーバーしてもたいしたニュースにならない。
熱中症で亡くなる方がいてやっとニュースになるくらいだ。
そう言えば昔はクーラーというものが無かったのだと思い出した。
車にクーラーがついているとそれは高級車だった。
わたしの家の近所の叔父さんはクーラーがついていない車に乗っていた。クーラーがついている車に端から見えるよう、わざと暑い夏に窓を閉め切って走ってみた、という笑い話も今は昔だ。
暑い暑いと言ってクーラーをつける。
クーラーのきいた室内は涼しく快適だ。
外では室外機のファンがうなりごえとともに暑い風を排出している。
本当に夏はこんなにも暑いものなのかなぁ、と時々思う。
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