生きている文

何年も昔に描いたわたしのメモ書きにある絵(というより落書き)は何年経っても変わらない。

時が経てば、紙が黄ばんだり線がこすれたりすることはあっても、絵自体が変化する事は無い。同じように詩や文も一度書いてしまえば、変わる事は無い。
ただ、その絵や文を見る人が「いつ」「どんな」時代に生きていたかで、同じものだとしても受けとる意味も変わってくる。時代ごとに空気が変化するように。

二千四百年以上も昔に記された孔子の論語を先日読んだ。

「学びて時にこれを習う。またよろこばしからずや」
一度学んだ事を何度も復習して自分のものとする。なんと喜ばしいことだろう。

この文は、書かれた当時と比べてその意味が変化しただろうか。
答えは否だ。
同じ文でも絵でも意味が移ろうものがある一方で、十年、百年、千年と受け手や時代が変わっても意味が変化しないものがある。
どこかに真理が宿っているに違いない。「生きている」とはそういうことか。

生きている絵や生きている文をわたしも作りたいものだと思う。

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