世代間のふしぎ

世代間のふしぎ そういう気持ち

わたしが19、20歳くらい学生に教えていて感じるのは、物事のとらえ方や対処の仕方がわたしとは全く異なる世代だという事だ。
それについてわたしは批判的にとらえているという訳ではない。むしろ今後どんな発想や発明が生まれてくるのか期待値の方が大きい。

スマホを物心ついた時から使っている世代はメモをとらない
今でこそわたしもスマホのカメラでメモ代わりに写真を撮ることがあるが、最初に学生が掲示物にカメラを向けてメモ代わりに使っている姿をみて驚いたものだ。人生の途中から携帯やスマホに触れたわたしには携帯は電話であるという意識が強く、カメラも人を撮るものという意識しか無かった。学生の真似をしてカメラでメモするようにしてみると後でみても正確だし他の人に知らせるのも好都合だと気づいた。

わたしの世代からすれば、スマホの機能は物凄い(実際にわたしはスマホは夢のような機械だと思っている)と考えてしまうが、最初からスマホに触れている世代からすれば当たりなので、スマホが道案内してくれようが、SNSで大勢の人とやり取りできようが大して凄い事ではないのだ。
例えばそれは、わたしが物心ついたときから存在していた電話機だと考えればいいだろう。
電話機が無かった世代からすれば、電話で遠く離れた人と会話出来るのは物凄いことだったに違いない。でもわたしは電話で感動したことはない。そこに最初からあったものだからだ。

今まで存在していなかった技術に対しての驚きや感動は、最初からその技術が存在していた世代には無い訳で、それがそのまま世代間の壁になっていることは沢山あるのだろう。
だから世代が違えば、説明しても絶対に理解できないことが山ほどあるに違いない。

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