本の感想:金閣寺

面白かった本(小説)

率直に言えば、ただの犯罪エロ小説となり下がるところをそこは三島由紀夫、想像力に富む文章と表現で全体が格調高く説得力を持って響いてくるのだ。

「金閣を焼かねばならぬ」

本文より

主人公視点による告白形式の文体。
生来の吃り(どもり)をもつ一人の僧が京都金閣寺を焼失させるまでの物語。

三島由紀夫の『金閣寺』は昭和25年(1950年)に実際に起きた金閣寺徒弟僧(とていそう)による放火焼失事件が元になっている。(徒弟僧は見習いの僧のこと)

参考

金閣寺が焼けた日 放火した僧の「その後」 恩赦で出所後、結核に…
7月2日は金閣寺焼失事件が起こった日です。この事件は三島由紀夫の「金閣寺」、水上勉「五番町夕霧楼」「金閣炎上」などの題材になりました。金閣寺は1397年、室町幕府三代将軍・足利義満の別荘として創建が始められ、義満の遺言によって禅寺に改め…

実際の事件で金閣寺に放火した犯人の供述には「美に対する嫉妬」があったという。
これを三島由紀夫は吃りを持つ僧の社会や友人に対する「世間に分かってもらえない」ことを良しとする屈折した心の内として表現した。本作の屈折した心の持ち主は、金閣を焼こうとする主人公だけではない。柏木をはじめとした友人たちも主人公以上に屈折している。

少しそれた話をすると仏法の道にいる主人公や師匠である老師は、女、酒、煙草すべてやっている。ところどころで起き上がる(男のものも起き上がるが…)エロい話は想像力豊かな筆致で描かれていて面白い。エロい話に主人公たちの屈折した心が加わってくるので、倒錯した心と性欲のオンパレードである。

わたしが読んだ新潮文庫版には、三島由紀夫が生前と自殺後にそれぞれ書かれたあとがき2種類が付属していた。

  • 三島由紀夫 人と文学・佐伯彰一
  • 『金閣寺』について・中村光夫

どちらのあとがきにも三島由紀夫の『金閣寺』やその考え方において一般に理解が得られるようになるまでには時間を要する、となっていて興味深い。

ちなみに三島由紀夫の本名は平岡公威(きみたけ)である。三島由紀夫は45歳で自死。昭和の年と三島由紀夫本人の年齢とは一致する。

主人公が金閣寺放火とともに最後にとった行動と三島由紀夫が最期にとった行動を比べてみる、というのはどうか。『金閣寺』は三島由紀夫31歳の時の作品である。作品発表から14年後、三島は自死を選んだ。14年の歳月に何があったのだろう。

読書メモ

『金閣寺』の文章表現には目を見張るものがある

孤独はどんどん肥った、まるで豚のように。

私はわが肩に父の痩せ細った手の重みを感じていた。その肩に目をやったとき、月光の加減で、私は父の手が白骨に変わっているを見た。

また、禅問答のようなセリフがそこかしこに見受けられる

「人に見られるとおりに生きていればよろしいのでしょうか」

「そうも行くまい。しかし変わったことを仕出かせば、又人はそのように見てくれるのじゃ。世間は忘れっぽいでな」

「人の見ている私と、私の考えている私と、どちらが持続しているのでしょうか」

「どちらもすぐ途絶えるのじゃ。むりやり思い込んで持続させても、いつかは又途絶えるのじゃ。汽車が走っているあいだ、乗客は止まっておる。汽車が止まると、乗客はそこから歩き出さねばならん。走るのも途絶え、休息も途絶える。死は最後の休息じゃそうなが、それだとて、いつまで続くか知れたものではない」


主人公と禅師との会話より

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