月の満ち欠け
佐藤正午(著)
「こんな話があったら面白いなあ」これがわたしの正直な感想だ。
冒頭に提示される「なぜ?」が読むにつれて深まっていく不思議な小説。
もちろん『月の満ち欠け』を最後まで読み終えたら、冒頭の「なぜ?」回収してくれるのでご安心を。
新幹線を降り立ち、東京ステーションホテル2Fに迷いながら到着した冴えないおっさん。これが主人公の小山内堅(おさない つよし)だ。
しかもその冴えないおっさんである小山内が都会風の母娘と冒頭出会うのだ。小説のつかみとしてOKだろう。しかし、どうやら小山内とその母娘とは家族ではない。しかも母親の連れている小学生の娘の主人公小山内に対する口のきき方が少々おかしい。おかしいと感じてしまうのは、その娘が生意気な口をきくとか(実際生意気そうだが)、頭がおかしいといった意味ではなく、何か主人公の過去を知っているような口のきき方なのだ。更にその娘の知っている過去というのは、自分の年齢よりもっと以前の事なのだ。それをこの娘は知っている。少々ではなく、十分おかしな状況だろう。
冒頭の「なぜ?」はこんな感じだ。
冒頭の出会いから一転。主人公小山内の過去が語られる。
小山内が妻と出会う前の話。そして妻と出会ってからの話。登場人物も次第に増えていく。そして第2第3の謎へと続いていく展開はミステリー仕立てだ。必ず主人公小山内から続く人間関係の流れの中から話が広がっていくため興味はつきず、ついつい先が知りたくなってしまう。
最後は巡り巡って冒頭のシーンに行きつくのだが、その過程が圧巻だ。こんな事よくもまあ考えたもんだ、と思わずにはいられなかった。登場する人物は生い立ちから語られることが多く、何人もの人生を自分が生きてしまった気分だ。
小説には2種類あると思う。
1つは、読んでいる最中ものすごく面白くて楽しめるのだが、後には何も残らないタイプ。(これをエンタティメント小説と個人的に呼んでいる。わたしの中では東野圭吾氏の作品がまさにこれ)もう1つは、読み終えた後、自分の現実に照らし合わせて何か考えさせてくれるタイプ。
どちらの小説もわたしは大好きだが、『月の満ち欠け』はどちらにあたるのだろうと考えてみた。
読んでいる最中すごく楽しめて(要するに先が気になって)読んだ後も「これってもしかすると…」などと考えさせてくれる両方の良さを併せ持つ小説なのではないかと思ってしまった。
佐藤正午氏の作品を『月の満ち欠け』以外に読んだことがないため、著者の他の作品に対しては何も言えない。しかし、ぜひ著者の他の作品も読んでみたくなった事は確かである。(と言うかあとがきを書いている伊坂幸太郎氏が紹介していた『アンダーリポート』を購入してしまった!)
そうだそうだ、思い出したのだが、『月の満ち欠け』は、読み終えた後に冒頭のシーンをまた読んでしまうタイプの小説だ、これは。
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