待ってよ
蜂須賀 敬明(著)
本書の表紙絵は、『待ってよ』というタイトルと合わさったとき、不安な感情を抱かせる。
「不安な感じ」は、物語の冒頭から始まって、最後の最後まで続く。
読み終えた時に、「不安な感じ」だったものは、自分自身が人生に対して感じていたものだったのではないか、と思った。
主人公のベリーは、キング・ベリーと言う名でマジックショーを生業としている。ベリーは、世界五大陸を渡り歩いた伝説のマジシャンである、という設定である。
そんなベリーがなぜか田舎の漁村でのマジックショーを引き受けたところから物語は始まる。
小説は舞台設定が、面白さの半分以上を占める。この小説も例外ではないと思う。だから、舞台設定をここで述べるかわりにヒントとなる事を述べようと思う。
わたしは、つい何年か前に赤ん坊が生まれて子育てを経験した。
我が子のおむつを交換している時や、あやしている時に思った事がある。
人は何も出来ない赤ん坊の状態で生まれて来る。
赤ん坊は、次第に言葉をしゃべったり、歩けるようになったりして出来る事が増えていく。
身体も大きくなって成長していく。
それは人の死ぬ前の状況に似ていやしなか?
例えばわたしの祖母は、寝たきりになって、歩けなくなり、次第に言葉もしゃべらなくなって身体も一回りも二回りも小さくなっていった。そして、祖母は死んだ。
人の「生まれて」と「死ぬまで」は、そのベクトル(方向)が違うだけでほとんど違いはないのではないか、と思ったのだ。
著者の蜂須賀氏が人の生死についてどういった考え方を持っているかは分らない。
ただ本書を読んでいる最中にわたしが思い出した事柄が、「人が生まれた時と死んで行く時は、そのほとんどが似ている」ということだ。
最後にタイトルの「待ってよ」だが、それは本書の最後の最後でようやく理解出来た。
わたしが人生の舞台を降りる時、それはどんなだろうかと思った。
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