小学校のとき「ああ無情」という題名の児童書を読んだことがある。
「なんで一切れのパンを盗んだだけなのに主人公は何年も牢獄に入れられたのだろう?」ぐらいにしか考えなかった。
最近になって、わたしが読んだ「ああ無情」という本はユゴーの「レ・ミゼラブル」という小説が原作の要約されたものだったことを知った。
図書館で借りてきた本は新潮文庫版だったが、全5巻もあった。
レ・ミゼラブル1巻を読んでの感想を書きたい。
一番驚いたのは、「レ・ミゼラブル」を原作とした児童書、映画、ミュージカルなどと、原作とは全く違った描き方をしている点だ。
特に主人公の人となりを表すような心の機微を描いた部分は、変えてしまうと全く主人公に対する印象が変わってしまう。
有名なシーンとして、主人公ジャン・ヴァルジャンが、司祭から銀の食器と燭台を盗んで逃げるシーンがある。わたしが最近観た映画の「レ・ミゼラブル」では、ジャン・ヴァルジャンが燭台を盗む際、司教に見つかり、司教を殴ってから逃げていた。原作では、司教は寝たままで主人公はおそるおそる燭台を盗み去って逃げる。原作ではジャン・ヴァルジャンは司教を殴ってはいない。ちょっとしたシーンだが、後々主人公が心を入れ替えるシーンにもつながるので、殴って逃げたのでは少し主人公に対しての印象が変わると思った。
牢屋から出た囚人がなぜ市長にまで上り詰めたか?
これは映画や児童書では特に省かれている部分かもしれない。そうした背景も原作は事細かに描いている。そもそも原作1巻の冒頭は主人公が出会う司教ミリエル氏の生い立ちから人となりまでに100ページ近く費やしている。登場人物一人一人に焦点があたっていく点が映画や児童書と原作の異なる点なのかもしれない。
原作の1巻を読んでの感じるのは人が心を入れ替えるのは簡単ではないということ。
すなわち1巻では主人公ジャン・ヴァルジャンの葛藤が描かれている。囚人として出所したジャン・ヴァルジャンが名前をマドレーヌ氏と偽って市長にまで上り詰めるまでの心の葛藤が細やかに描かれているのが1巻の内容だ。
実はこの1巻で児童書や映画で出てくる有名なシーンのほとんどは描かれている。
あと4巻を費やして何を描くのか?そう感じさせる最初の巻となっている。
原作を読んで感動した人が映画やミュージカルを作ろうと考えた。
それは確かだと思う。原作は面白い。
あらためて感じるのは、登場人物たちの心の機微はやはり原作でしか伝わらない、ということだ。
2時間程度の映画や1冊の児童書で、主人公ジャン・ヴァルジャンの心の機微を描くことは不可能なのだ。
一人の人間が、囚人から聖人へと変わっていくのだから色々あるに決まっているじゃないですか。
ジャン・ヴァルジャンの心の葛藤を、読者も一緒に体験できる意味で原作5巻を読む価値はあると思う。
残り4巻、主人公がどういった生き方を選ぶのか?どんな展開が待つのか?わくわくしてくる。
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