ゲド戦記Ⅰ 影との戦い
ル=グウィン(著)
清水真砂子(訳)
ゲド戦記はジブリのアニメ映画にもなったので、小説の前に映画で『ゲド戦記』を知った人も多いはず。わたしもその一人だ。
簡単に映画と小説の違いを言うなら、映画は軽く、小説は重い。
小説は、登場人物たちの言葉一つ一つに重みがある。特に魔法の師匠のオジオン。「黙して語らず」なキャラクターで普段から言葉少なな人物だが、時々ゲドに語り掛けるセリフは味わい深い。
「聞こうというなら、黙っていなくてはな。」
『影との戦い』 – 魔法をはやく教えて欲しいとするゲドに対して
人や物には《真の名まえ》があり、 《真の名まえ》 を知っていれば、そのものを自由に操ることが出来る、という設定は、ゲド戦記の魔法に真実味を与えている。「ゲド」という《真の名まえ》も、むやみやたらと相手に教えてはいけないのだ。
この巻の主人公である「少年ゲド」は決して賢い人物とは言い難く、またそう描かれているように思う。
ゲドの魔法の力を小馬鹿にしてくる少女に自身の力を誇示しようと考えたゲドは、唱えてはいけない呪文を唱えてしまう。呪文によってゲドは名まえの無い「影」を呼び起こしてしまうのだ。「影」はゲドを取り込もうとする闇の使者。自ら呼び起こした「影」にゲドは追われる立場となる。
ル=グウィンの描く「ゲド戦記」は、魔法使いゲドの生涯を描いた壮大な物語。
巨大な竜との戦い、アースシーという未開世界への冒険、まさにファンタジーである。しかし、作者のル=グウィンは、こうしたファンタジー要素を使って現実世界を揶揄しているように思えてならない。
セリフだけを抜き出してみれば、目の前の生活に置き換えて考えさせられるものが多く、生きるヒントを与えてくれる。
「ゲド、いいか、ようく聞け。そなた、考えてみたことはいっぺんもなかったかの?光に影がつきもののように、力には危険がつきものだということを。魔法は楽しみや賞賛めあての遊びではない。いいか、ようく考えるんだ。わしらが言うこと為すこと、それは必ずや、正か邪か、いずれかの結果を生まずにはおかん。ものを言うたり、したりする前には、それが払う代償をまえもって知っておくのだ!」
『影との戦い』
《魔法》を現実世界に置き換えたら、一体何を表すだろう。
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