ビットコインを所有して感じたこと
わたしは新しいもの好きなのでビットコインを所有している。
驚かされるのは、日々のビットコイン価格の変動の大きさだ。例えば先週、1ビットコインの価値が日本円にして100万円を超えていたかと思うと、今週は80万円に下がっていたりして、庶民のお金の感覚とは程遠い値動きを見せる。投機目的の人たちが仮想通貨市場に多く集まるのは頷ける。月に一度売り買いすれば、わたしの一か月分の給料が稼げるなあ、などと早計してしまうのは致し方ない状況だろう。(まだそんな事はしていないが…)
仮想通貨と暗号資産
ビットコインをはじめとする「仮想通貨」の呼称を公式の場では「暗号資産」という呼び方に改める、という閣議決定が日本政府でなされた。(施行は、2020年6月までにという条件らしいが…)
世界的には、すでにCrypto Asset(=暗号資産)という呼び方が定着しているので、それに合わせたものなのかは定かでないが、仮想通貨にせよ、暗号資産にせよどういう呼び方をしようが、お金としての機能をもつものであることは確かだ。実際にビックカメラでは、電化製品がビットコインで買えるようになっているし。ネット上ではビットコインで物を買える店も普通にある。
参考(ビットコインが使えるお店)
日本のビットコインが使えるお店(ビットコイン決済対応店舗) | Bitcoin日本語情報サイトhttps://jpbitcoin.com/shops
おつりは20ギルです
突然、日本円がゴールドとかギル(ドラクエとファイナルファンタタジーでのお金の単位。懐かしいですね)という呼称に変わって、コンビニで「おつりは20ギルです」などと言われても、円の価値が変わるわけではない。
わたし個人はお金の呼び方はかっこいい方がいいと思うくらいなので、呼び方が変わってもさして気にならない。わたしが気になるのは、ビットコインやイーサリアム、最近ではフェイスブックが発表したリブラなどの仮想通貨(暗号資産)が、人々の中でいかがわしいお金とか怪しいものとして処理されているような感覚がある点が気になる。
社会がお札や硬貨という物理的なお金を使わなくても生活できるようになってきているのに、「やはり現金でないと」という考えがまだ根底にあるのだろうか。昔(本当に大昔だが)大きな石をお金替わりにしていた地域もあったのだ。お金の見た目(というか仮想通貨には見た目がないが)が様変わりしていっても何の驚きもない。現にほとんどの通貨がコンピュータ上でやり取りされているのだし。すでにお金というものは、物理的に無いものと考えた方がいいのかもしれない。
未来のお金
時々、若い人がズボンのポケットからはみ出るくらいの大きな財布を持っているのを目にする。でも支払う時はスマホを出して「〇〇ペイで」などと言っていたりする。
「昔お財布、今スマホ」と言われる現代。
スマホを通じて出費する金額の方が、お財布から出ていく現金よりも多いという人の割合は確実に増えている。『お財布』という入れ物は、近い将来店頭から姿を消すだろう。お年玉はどうなるだろうか?すでにお年玉もキャッシュレスの家庭があるのかもしれないが。
「お金」のような価値を持つものは、いつの時代も存在してきたのだし、これからも無くなることはない。昨今の天候の急激な変化ではないが、お金が急激に姿形を変えても気にしないことだ。
当たり前の話だが、1万円札や100円玉自体に価値はない。あくまでお金は何かと交換できる『信用』だ。そう考えると丸い穴が空いた大きな石のお金もビットコインも違いはないことに気づく。違いがあるとすれば、遠く離れた人とも瞬時にやり取りでき、両替もせずに使えるということだろうか。その点でいうなら古くからあるクレジットカードも同様だが、クレジットカードは売り手側が手数料を5%ほどクレジットカード会社に支払う仕組みになっている。かなり大きな額だ。ビットコインは、手数料がほとんど無いに等しい。しかも特定の国や企業が管理していない初めてのお金の仕組みだ。
わたしはビットコインで大儲けしようと考えている訳ではないが、時代の空気感は肌で感じたい。
真新しいからとか、理解できないからとかで遠ざけてしまうのは、それこそリスクだと思う。インターネットを使わないことが、どれだけリスクがあるか?今なら小学生に聞いても分かるはずだ。
わたしはインターネットから生まれた仮想通貨(暗号資産)が、消費税増税とともに日本で叫ばれはじめたキャッシュレスという言葉のすぐ先にある気がしている。
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