時代が進歩したとは言え、距離は埋められない

ドラえもんの「どこでもドア」でもあれば、話は別だが、発達した現代でも距離というものは埋められないのだと感じる。小さな国、日本においても。

茨城から長野に帰省したとき、妻と地元のスーパーに行った。
9月も中ごろになると秋の果物が店頭には並べられている。
桃、栗、りんご、梨どれも美味しそうだ。
妻が桃を手にとって「これ安いよ」と言う。
確かに茨城で買うよりも安い。半額とまではいかないが半額に近い値段で売られている。
買って食べてみたら新鮮で美味しい。

地元の採れた果物は、すぐに店頭に並ぶのだろう。

輸送する必要がないというのは、食べ物の場合、重要な要素だ。
新鮮だし、輸送費が掛らない分値段も安い。当たり前と言えば、当たり前なのだが、全国どこのスーパーに出向いても全国津々浦々の商品が売られているとつい錯覚してしまう。
その日のうちに物が届く宅急便サービスなどが当たり前になった。わたしは十二分に錯覚していたのだ。「どこでもドア」でもあるんじゃないかと。

わたしが食べた桃は、新鮮で安くて美味しかった。
しかし、沖縄で北海道のメロンが食べられたとしても、その質は違うのだ。
インターネットでリアルタイムにやり取りできたとしても、やはりその距離は埋められないのだ。

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