わたしが嫉妬心を感じるのは、新聞を読んでいるときであることが多い。
朝日新聞の日曜日の朝刊には、朝刊とは別に「Be」という名の青と赤の別紙が入っている。
青い方は、世の中で活躍や成功を納めた人が巻頭の特集記事になっている。
今回の記事は、MIT(米マサチューセッツ工科大学)メディアラボ所長の伊藤穣一氏の特集だった。
MITと言えば、わたしも持っているLEGOマインドストーム(LEGOブロックを使って、ロボットを作れるシステム)や最近はやりの電子書籍を実現させた「Eインク」などの技術を牽引してきたところだ。
特集記事には、伊藤穣一さんの言葉が、載っていた。
「インターネットはテクノロジーではなく、一つの哲学」
「地図を求めるんじゃなくて、コンパスをもつ」
独特のものの見方をする人だなぁと思っていた矢先、ふと彼の年齢をみると、わたしと3つしか違わないことが判明した。
すごく成功した人や活躍している人をみているときは、憧れの気持ちでみている。
しかし、その人の年齢が自分と同じ位か、あるいは自分よりも年下だと、嫉妬心がムクムクと湧き出てくるのはなぜだろう。
今回も、伊藤氏の年齢をみたとたん、嫉妬心を感じた。
わたしは、出会ったこともない人に嫉妬心を抱いており、相手はわたしが嫉妬していることは全く知らない。
おかしな話だが、よくあることだ。
嫉妬心によって、自分の「やる気」が湧いてくるのであればいいが、「別に俺はいいさ」などとなって落ち込んでしまうと、どうしようもない。
嫉妬を辞書で引いてみた。
嫉妬
1.自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。
2.自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられるのを恨み憎むこと。
わたしの場合、1番の意味のようだ。2番は要するに「やきもち」だと思うが、愛情には鈍感なので、わたしの嫉妬とは、自分よりすぐれている人に対してのようだ。
あまり考えたこともないが、わたしに対して嫉妬している人も広い世の中にはいるかもしれない。(いたらうれしい)
それに、こうして色々と物事を(嫉妬心からかもしれないにしても)考え広めることが出来ている。
「なにか心にひっかかることが、自分に対して大事な何かを訴えているのだ」と以前読んだ本「つまらない人生入門」(記事はこちら)に書いてあった。
伊藤穣一氏が、こんな言葉を引用していた。
「自分で考えろ、権威を疑え」/ティモシー・リアリー
嫉妬心は、悪いことではないと思うことにした。
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