四年に一度

「四年に一度」を目指して毎日を生きている人がいるということだ。
四年に一度の祭典、ロンドン五輪が始まった。
わたしが中学生のとき米ロサンゼルス五輪があり、夏休みは宿題そっちのけでテレビにかじりついていた。
体操の森末慎二や柔道の山下泰裕の金メダルに感動した記憶がある。


なぜオリンピックやサッカーのワールドカップが四年に一度なのかは諸説がある。
古代ギリシア人が太陰歴を使っていたからとか、開催国や選手の負担を考えたら毎年の開催は不可能だとか、4年に1度だから価値があるなど、それぞれの説に一理ある。
わたし自身は四年に一度という期間はちょうど良いと思っている。
理由は、忘れた頃にやって来る、というものだ。
四年に一度は自分自身を振り返るいい機会になる。
わたしは正真正銘の日本人なので、オリンピックやサッカーワールドカップでは、日本を応援する。
日本を応援しているということは自分自身を応援していることになるから気持ちいい。
普段の生活では自分を心から応援することは無いのではないかと思う。
普段見ることのないテレビも四年に一度なら見てみようかという気になる。
そういえば、毎日テレビを見ていた時期があったが、毎日見る理由も無かった気がする。
前回出場して活躍していた選手が、今回は成績がよくなかったり、あるいはチームの足手まといになっていたりすることがある。
この選手も年をとったなぁ、と思うと同時にその思いは自分自身にも降りかかってくる。
十年一昔、というが、四年という歳月も一昔である。
じぶんと同じ40代の選手が活躍していると、この選手にもいろいろと人生にうじゃうじゃとあったのだなあと感じてしまう。
四年に一度という祭典は目標としてはいいのだろう。
すぐに結果が出ない分、四年後にはしっかりと結果がでるから。
今日を充実させることが人生を充実させるコツと言う言葉を聞いたことがある。
今日を充実させる、という気持ちの裏には明日も生きているからという気持ちが入っている。
四年間「今日」という日を充実させたら、何か達成できるのだろうか。
それは四年間「今日」という日をを充実させた人にしか答えは提示されない。

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