振り返って思うのは、人は受けた恩以上には相手に対しては返すことが出来ない、ということだ。
わたしは生まれてから小学校までのほとんどの時間を祖母と過ごした。
父と母は共働きだった為、自然に祖母と過ごす時間が長くなった。学校から帰るといつも祖母がいた。
畑で草取りをしたり、おやつを作ってもらったりした。祖母が作るおやきをいつの間にか手伝うようになった。
夏に採れる白瓜を一緒に漬けたりもした。
動物園に連れて行ってもらったり、町に買い物に出かけたりと思い出したらきりが無い。
わたしが高校を卒業して家を出てからは、祖母はわたしが実家に帰るのを心待ちにしているようだった。
わたしが帰省する予定の日は、わたしが帰ってくるだいぶ前の時間から窓の外を見て待っていた。
祖母はよく本を読んでいたので、わたしは帰省すると祖母に本をプレゼントした。
わたしの妹たちも祖母に本をプレゼントしていたようだ。
祖母は気に入れば同じ本を何度も読んでいたが、気に入らないとほとんど読まない本もあった。
島崎藤村や源氏鶏太の本をよく読んでいた。田辺聖子の本も好きで読んでいた。
わたしは祖母が本の裏表紙や新聞広告の裏などに時々メモをしているのを知っていた。
「○月○日○○に買ってもらう」とか「緑と縁」とか「1月18日に台風が接近。長野は雨」など、覚書なのかニュースなのか基準がよくわからないメモだった。
時には「人生には石よりかたい夢がある」などと自分が考えたのか、誰かが言ったのか定かでない名言のようなものもあった。
わたしも年をとって、若い頃より頻繁にメモをするようになった。祖母の影響が大きいのかもしれない。
本もわたし自身よく読んでいる。誰かに言われたわけではないが、祖母のそうした姿をわたしは『教え』として受け継いだのかもしれない。
祖母は大正7年生まれだ。
昭和の戦争を体験した世代だ。
よく祖母が防空壕に逃げ込んだ話をしてくれた。防空壕の中で「はやく戦争が終わればいいなぁ」と思った話や戦争が終わって本当に良かったという話、(現在のような)こんな平和な時代が来るなんて夢のようだという話を聞いた。戦争のことを「ばかなことしたもんだ」とも言っていた。
小学生時代わたしは、よく祖母の背中や肩をもんであげた。もんであげると祖母は「かるくなったようだ」「血がさわぐようだ」と言ってくれた。大人になって子供が出来てからは、わたしは祖母と接することが少なくなったと思う。帰省しても祖母の肩もみなどをしなくなった。もっと色々な話を祖母から聞きたかったし、肩もみもすれば良かったと思う。
祖母は平成25年の2月5日94歳の生涯をとじた。
受けた恩はもう返せない。
コメント
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俺の父と母も共働きで、よく俺もおばあちゃんと話しをしたり、オヤツを用意してくれたりしてました。
時には酷いことも言ってしまったこともありますが、今では酷く後悔しております。
色んなものを買ってあげたり、したりもしましたが、まだ恩を返しきれていない気がしてなりません。
俺のおばあちゃんは4年前に亡くなりました。
最後までボケることなく、しっかりした人でした。
俺の自慢のおばあちゃんです。
きっと空の上から見守ってくれているだろうと。空を見上げては想うのです。
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赤鈴さん、こんにちは。
わたしも今となっては『感謝』の気持ちしかありません。
> きっと空の上から見守ってくれているだろうと。空を見上げては想うのです。
誰かが見守ってくれている、という気持ちは大切な気持ちですよね。
素敵なコメントありがとうございました。
mrgarita