「闘う君の歌を 闘わないやつらが 笑うだろう ファイト!」
中島みゆきの「ファイト!」は、中学生の頃に初めて聴いた。
「こわい女の人がこわい歌を唄っているなぁ」と思った記憶がある。
歌の冒頭、ささやくようにこの曲は始まる。何を言っているのか知りたくて、紙に鉛筆で歌詞を書いた。
カセットテープにFMラジオから録音した曲を聴きながら、途中なんども再生を止め紙に歌詞を写していった。
人生の応援歌は沢山あるが、わたしはこの曲が一番好きだ。
【写真/2011年5月29日 紙で何か作った】
「わたし中卒やからね 仕事を もらわれへんのや と書いた 女の子の 手紙を…」
書き留めた「ファイト!」の歌詞を何度か読みすすめていくうちに、国語の教科書に出てきた「スイミー」たちが海を泳ぐ映像や行った事もない東京の駅のホームなどが次々と思い浮かんだ。
この曲を最後まで聴くと中学生のわたしは、分かっていてくれる人がこの世の中にいるんだと思い涙した。
久しぶりに中島みゆきの「ファイト!」を聴いた。
中学生のころから隔てること30年。やはり最後まで聴くと泣けてくる。
30年経っても色あせないというのは、やはりこの曲がいい曲なのだからだと思う。
久しぶりに聴いたこの曲をわたしは本人の唄うステージ映像で見たが、「喜怒哀楽」を表情にも声にも表現したすごいステージとなっていた。
中学生当時のわたしが「こわい」と感じたのは、この人間の「喜怒哀楽」に他ならなかった。
初めて聴いたときに感じた「こわい」という印象は今「心地よい」に変わった。
芸術家(アーティスト)という言葉で語られる人は多くいる。しかし、その作品が後世に残る作品となるかは、時代を経てみなければ、分からない。
簡単に「アーティスト」などと呼んでくれるなと言う事である。
まして自分で「アーティスト」を名乗るなと言う事である。
少なくともこの中島みゆきの曲は、わたしの中で30年間生き続けている。
中島みゆきは芸術家の一人だと思う。
わたしは、美術品を作っている訳でもないし、もちろん芸術家でもないが、今自分が作っている作品が30年後に残っているのかと考えるとき、この中島みゆきの「ファイト!」は心に浸みる。
実家に帰ると父が未だにわたしが小学生の頃に作った不細工な陶器の灰皿を使ってくれている。
身近なところに自分を理解してくれている人はいる。
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