人は階段を上るようには成長しない。
子の成長、学生の成長をみていて感じることだ。
毎日毎日同じことを繰り返しても出来ていない、などと思っている。
しかしいつの間にか出来るようになっている。
いつの間に出来るようになったのか大人は気づかないので、子供があらたな階段を上っていることにも気づかない。
毎日接していると些細なに変化に気づきにくいようだ。
どうしても昨日と変わらないように見えてしまうのだ。
子供たち本人も気づいていないのだと思う。
わたしは初めて自転車に乗れた日のことはよく憶えているが、初めてお箸を使えるようになったとか、初めて自分で髪の毛を洗った日のことを憶えていない。
きっと色んな「初めて」があったに違いないのだが、そのほとんどを忘れている。
人は成長曲線を描いてはいないのかもしれない。
昨日まで出来たことが出来なくなったり、そうかと言えば、急に出来るようになったり、階段を二段抜かしするように急成長をとげることもある。
人の成長度合いが、数学式で求められるようなら、家庭も学校も工場化するだろう。
きっとそんなふうなら、つまらない。
子供でなくなった今、わたしは時々自分が退化しているのではないかと思うことがある。
ときには、成長を感じることもあるが、それは心の成長であることの方が多い気がする。
進化するにせよ、退化するにせよ、どう変化するか分からないから人生がそこに存在しているのだと思う。
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