人の成長を見守ることは、自分自身を試されているような気がしてしょうがない。
わたしも妻もイライラしていた。
朝食のみそ汁を二日つづけて子供がこぼしたたからだ。
座布団は濡れた。
直前までわたしの子供達二人はふざけて食事をしていたので、かなり叱った。
子供が生まれてから何回我が家の座布団はスープやみそ汁、牛乳、ジュースなどを吸い込んできたのだろうか。
一体何度こぼせば、食事が安心して出来るようになるのだろうかと、子供達が飲み物をこぼしたときはいつも思う。
でもいつの間にか出来るようになるのだろうが、親であるわたしや妻は冷静に判断はできないことがある。
そんなときわたしは『子育てハッピーアドバイス』という本を読む事がある。
一応この本を読むと一時わたしは「子供達は宝だ!」と思う事ができる。
しかし、目の前で何度も失敗ばかりみせられるとつい怒り出してしまうのだ。
自分自身がそうして成長してきたのだ、とその時ばかりは考えることができず子供を頭ごなしに叱ってしまう。
成長とは表立っては目にみえない。とくに当事者にとっては見えにくい。
毎日顔をつき合わせている親子や先生と生徒などは、冷静さというものを常に持ち合わせていないと成長の瞬間を見逃してしまうのだろうと思う。
子育てをしているのではない。
自分自身が試されているのだ。
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