世界中の人がわらしべ長者になれる

「わらしべ長者になれるよ」と妻に言われた。


民話にもある「わらしべ長者」は、こんな感じだ。

ある男が「お金持ちになれますように」とお寺でお願いする。
すると天の声が聞こえる。
「おまえがここをでて最初につかんだものがおまえを金持ちにしてくれる」
男が最初につかんだのは、寺を出てころんだときにつかんだ一本の「ワラ」だった。
しばらくいくと、あぶが飛び回ってうるさいので男は「あぶ」をつかまえワラの先につける。
またしばらくいくと牛車に乗った子供に会う。
子供は、「あのあぶが欲しい」というので、あげると家来がかわりに「みかん」をくれる。
つぎは喉がかわいた女性に会い、みかんをあげると「反物」をくれる…

といった具合に、一本のワラがつぎからつぎに別のものと交換されていく。
そして最後に、男は家を手に入れる。
小さいときによく聞かされた話だ。
こんな風にならないかなぁと思ったりもした。
資本主義社会である我が日本に住んでいると、お金と物を交換することが基本になっているため、お金が一番価値のあるものと考えがちになる。
お店でお金を使って物を得るという頭が出来上がってしまう。

しかし、日本でもわたしが住んでいる田舎などでは近所づきあいも盛んで、「余計に作ったから」とか「庭に実がなったから」とかで何かものをあげるとそれ以上のもので返ってくることが多い。
もちろん相手を気づかって相手が持っていない「野菜」などを送ったり送られたりしている。
相手としてはもう足りているからかもしれないが、もらうわたしの方からすると「あり難い」ものをもらうことの方が多い。
お互いの価値としては、等価なのだがお互いにメリットがあるわけだ。
わたしはわらしべ長者が持っていた「ワラ」以上のものをたくさん持っている訳で、わらしべ長者以上のお金持ちになれると思う。
ただ、「どの」タイミングで「何を」相手に渡すか計りかねている。

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