一歩前を歩く

昔挑戦してさっぱり出来なかった事を、今になって挑戦してみると出来るようになっていたり、理解できるようになっている事がある。これは自分が成長した証なのか、それとも長い年月を経て理解がすすんだのか。

これらを成長や進化と捉えれば、なんとなく自分自身誇らしげな気持ちになる。
その一方で、何年経ってもさっぱり駄目な分野もある。
わたしの場合は、方向感覚だ。
目的地までの道順を憶えることが不得意で、かつ方向音痴でもある。
わが家の自家用車には、今の時代当たり前となったナビゲーションシステムがついていない。そんなわたしでも道を間違えずに目的地まで辿り着く事が出来るのは、ナビゲーションしてくれる妻がいるからだ。
女性は生物学的に地図を読むことが不得意だと聞いたことがあるが、わたしの妻はそんなことはない。むしろ男性のわたしの方が、地図を読むことが不得意だ。

ナビゲーションしてくれる妻がいるおかげで、わたしは方向音痴でもなんとか生きながらえてきた。
「生きながらえてきた」という表現は決して大げさではない。
先日、わたしは妻にこう指摘されたのだ。

「一緒に歩くときは、いつもわたしの後を歩くよね」

と。
わたしは自分が道を間違えることを恐れて、自然と妻の後を歩いていたらしい。
もうかれこれ15年以上も続けていた計算になる。

継続は力なり。惰性の継続は退化なり。

今度、妻の前を歩くことに挑戦してみようかと思う。
妻の一歩前を歩くのだ。

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