ホッとした後の不安感・越谷オサム著「陽だまりの彼女」の感想

新聞の書評に出てきたので読んでみた本。
陽だまりの彼女/越谷オサム(著)
陽だまりの彼女 (新潮文庫)
印象に残った言葉 「わたし執念深いから」

この本は、「不安は克服しても、克服したことでまた不安になる。」と言っている気がします。
私はこの本を半分まで読んで、正直つまらないなぁと思いました。

主人公の浩介は、中学生時代の幼なじみの彼女こと《真緒》と社会人になってから再会し結婚します。
わたしがつまらないと思った部分は、二人の結婚後のいちゃついた新婚生活が前半部分に詰め込まれて描かれていたからです。

考えを改めるのは後半です。
彼女の過去の秘密に焦点があてられてきます。読者が少し不安を感じ始めるのはこの頃からです。
最後には浩介は、妻となった真緒と別れることになります。真緒は突然姿を消すのです。

4分の3読んだ時点では、この本はもしやミステリーなのでは?と思っていました。
でも全編に流れる主人公の彼女(真緒)に対する不安は、物語が終わった後も続きました。

読み終わったあと、わたしは妻の顔や家族の顔が頭に思い浮かびました。

実はこの本を読んだきっかけは、2ヶ月間の間に2回も新聞の書評に出てきた本だったからです。
朝日新聞2012年1月29日付朝刊の書評には、作家の佐藤優さんがユダヤ思想家のマルティン・ブーバーの著書「我と汝(なんじ)・対話」でいう「我と汝」の関係がこの物語に出てくる主人公と彼女だと言っています。
ブーバーの言葉、

「我と汝」 相手を自分と同じように大切にする関係。
愛は「我」と「汝」の間にある。

も印象に残りました。

最後まで読んでみると、不思議といい本だったと感じるのはなぜでしょうか?
そして、心になにかひっかかりを感じ、もう一度自分の人生を思い返したくなるのです。

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