最近のコンパクトな一眼レフや画質がさらに上がった一眼レフの広告を見るとつい欲しくなる。
ただ躊躇してしまう。なぜなら、最近の製品は息が短い。
カメラ本体は大切に使えば何十年も持つと思われるが、デジカメの充電池やSDカードなどの記憶装置は、サイクルが短いのだ。
充電池は消耗品だ。何度も充電を繰り返すとその性能が落ち、最後には満タンに充電しても1分ともたなくなってしまう。ノートパソコンなどの充電池同様だ。
記憶装置はどうか?
つい数年前まではデジカメの記憶装置は、コンパクトフラッシュというSDカードよりも一回り大きい記憶装置が主流だった。この手の装置は、「小さくて速く」、あるいは「小さくて容量が大きく」なっていくのが時代の常だ。
5年も持たない。5年持てばいい、と割り切ってこういった製品を使うしかない。わたしはいやだ。長く使えない製品は、つまらない。道具として使いこなす前に使えなくなってしまうからだ。製品になれるのに時間が掛からない人はいいだろうが、わたしは何事も慣れるまでに時間が掛かるため、使いこなす前になくなったり使えなくなってしまうと困るのだ。
わたしの持っているオリンパスPENは、1967年頃の製品だ。
40年以上もの長きに渡り使うことが出来ている製品ということだ。しかも電池式ではないため、フィルムさえ入れればどこでも使える。最近の言葉で言うならかなりエコロジカルな製品ということになる。海外でも電池の減りを気にせず使える。その代わり、ピントは手動で合わせないといけないし、露出(明るさを考慮してレンズの絞りやシャッター速度を変えること)も手動であわせないといけない。昔ならカメラを使う人が皆写真を撮るときにしていた行為なのだろうが、今ではマニアックな行為となってしまった。
オリンパスPENは、<ハーフサイズカメラ>という部類に入る。ネガの半分を使って一枚の写真を撮ることから、そう呼ぶ。24枚取りのフィルムを使えば、48枚撮影できるということになる。かなりエコだ。
先ほど「海外でも使える」といったが、実際に海外旅行に持っていって撮影したことがある。
36枚取りのフィルムをセットして撮影をしていたのだが、撮影枚数が70枚を過ぎ、80枚を過ぎてもまだ撮れる。90枚を過ぎたころから不安になりだして、カメラを開けてみることにした。フィルムカメラを途中で開けるという行為は、フィルムを感光することになる。要するに直前に撮った写真から何枚かが真っ白になり消えてしまう。しかし、いくらハーフサイズカメラとはいえ、36枚取りフィルムで90枚も撮れるはずがない。思い切ってカメラを開けた。フィルムは空回りして最初にセットしたまま。つまり一枚も撮れてはいなかったのだった。すでに海外旅行の後半だった。わたしが撮った(というより撮った気になっていた)写真はすべて存在していなかった。あんなに頑張って海外でピントを合わせたり、露出を合わせたりしていたのは、なんだったのだろう。馬鹿みたいだ。
「電池を気にせずどこでも使えるぞー」なんて言いふらしていたわたしは、かなりの間抜けだった。
でもなぜか、フィルムの空回りしているカメラでここぞという瞬間に真剣にシャッターを切ったいくつかの場面は、今でもわたしの心に焼き付いている。
カメラで撮れるのは記録だが、記憶はどこか別のところにあるのかもしれない。
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