今の時代(日本は今日から元号が令和へと変わったが)どうしても無力感が先に立つ。
インターネットの発達によって自分に出来ることが何も見つからないと感じている人は多いのではないだろうか。
10年前と比べて歓迎すべき点
わたしは普段プログラミングの授業を受け持っていて、毎週何時間か学生に教えている。
10年前と現在とで、大きく違っている点、特に学習においては、以前なら何時間も掛けて本を読んで調べたり先生に聞いたりしていた事をネット検索一発でたちどころに知ることが出来る点だ。
もちろん、知りたい事全てが検索結果に表れる訳ではないが、自分の望むものに近いところまではすぐにたどり着く。
これは今の時代からすれば不幸な事とは言い難い。歓迎すべき事柄だ。
わたし自身、ネット検索にはかなりお世話になっている。
ネット環境と無力感
一つ歓迎できない点があるとすれば、プログラミングを憶えた学生が何かオリジナルのゲームなりアプリなりを作ろうとし始める時である。
自分ではオリジナルで考えたと思うようなものは世界中を見渡せば似たような考えを持つ人はいる訳で、自分の考えたものが全くのオリジナルではないことに気づくのだ。
例えば、学生が自分でオリジナルの簡単なゲームを作ろうと考えたとする。
でも、プログラミング初心者が作ろうとするようなものは、ネット検索すれば沢山みつかるのだ。丁寧にやり方まで書いてあったりする。ネット以前であれば、自分で考えるべき手順や方法が示されているのを見た学生は、じゃあまた別のものならとアイデアを練ってみる。が、しかしまた検索で見つかってしまう。
ここであえて自分で1からやってみようとする学生は少数派だろう。
わざわざ自分が作るまでもないか、と少し落胆を抱えつつ引き下がる学生の方が多い。
実はわたし自身も同じことを経験した事が、幾度となくあった。
無力感から人生を取り戻す
こうした無力感を感じる機会は、ネット社会になって加速している。
プログラミングに限らず、様々な分野でそれは顕著だ。
世界中の集合知をいつでも見ることが出来るようになった結果、わたしたちは現在「誰かがすでに作ってくれたものや提供してくれたもの」を求めるようになってきている。
こうした慣れは当然、自分では何も出来ないという無力感から来ているように思う。
もしあなたが今、この文章を読んで、それをそのまま別のメディアにコピー&貼り付けしたら、(まあ、違法ではあるが)自分の能力・経験・感情に変化はほぼない。しかし、この文章を読んで何か自分なりの考えが浮かんだとしたら、そこに価値があると考えたい。
人生を取り戻すというと大げさな感じがするが、日々感じている無力感から本来の自分の道を取り戻すということは、意識して取り組んでもいいとわたしは考えている。
これは哲学的な考えになってしまうが、なぜ無力感を感じるのか?とか、なぜSNSを逐一チェックしないと気が済まないのか?とか、例えば1日かけて考えてもいいと思うのだ。
そんな事を寝転んで空でも見ながら考えてみる。もし、本当に寝転んで空でも見ながら考えることが出来る環境に自分があるのだとしたら、それこそ平和な環境に身を置いている訳で感謝しなければならないが...
ここまで読んで頂いて申し訳ないが、無力感から脱出する方法は、ここには書いてない。
ただ、多くの人がもっと根本的な事を考えていった方が幸せに生きていける、そんな時代が来ていると思う。
コメント