わたしたちがいつも見ているものにこそ価値がある、ということかもしれない。
野生の二輪草
家の裏の坂を降りると田んぼ道がある。わたしは普段ジョギングに利用している。
自然も多く晴れた日はとても気持ちがいい。何気なく見ていた自然はある人からすると価値のあるものだと知った。
田んぼの写真を撮りに同じ田んぼ道に降りて行くと、一眼レフを片手に男の人が歩いていた。話しかけるとここ(『桂村』とその方はわたしに言った。昔のこの地区の名前で今はもうない)は珍しい花や植物が多く見られるんです、ということだった。
わたしが普段何気なく見ていた植物や花はなかなか野生では見られないのだそうだ。
こんにゃく
一輪草
二輪草
野生の一輪草や二輪草が多く群生しているのは珍しい、とその方は教えてくれた。わたしは一輪草と二輪草の違いが分からなかったので、尋ねた。二輪草は、根元が二手に分かれているということを教えてもらった。
いつも見ているただの白い花が、いつもと違って見えた。「輝いて見えた」というべきか。
別の視点はいつも誰かが教えてくれる。
ものの価値というものは、普段当たり前のように目にしているだけでは、その価値が分からないということなんだろう。
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