竜巻の被害も震災の被害もすべては祭りのあと

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友達の奥さんが、栃木県で竜巻に遭遇したと聞いた。
彼女は難を逃れたが、近くのイベントのテントでは、被害に遭った方もいたようだ。
ニュースで見ると地震の被害かと思うような映像が飛び込んできた。
わたしたちは、いつ自分の居場所がなくなったり持ち物…果ては命まで失うか分からない。
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【写真/2011年3月11日 震災により崩れた墓】


「もの」を持っているというのは、自然を前にしては、意味をなさないことなのだと思う。
それくらい自然は、偉大だからだ。
昨日5月5日は、日本の原発が1970年以来、42年ぶりにすべて停止した日だと新聞では報じていた。
42年前は、原発がなかったということだ。
42年前当時と現在では、生活環境は、大きく変化しているだろうが、人間のしていることは、さほど変化はないのだろうな、とも感じる。
1970年は、日本の高度成長期にあたる。
日本がアメリカに追いつけ追いこせと頑張っていた時代だ。
高度に成長し、アメリカに生活レベルが追いついて、うかれた祭りの後が今の日本だ。
わたしの父は長崎出身で、父の父、祖父が亡くなったときに「精霊流しをするから」と家族で長崎まで、いったことがある。
精霊流しは、毎年8月15日に長崎市内でその年に亡くなった人の家族や親戚が舟を型どった神輿を作り、市内をうねり歩き、最後には、川に流す行事だ。
当時高校生だったわたしは、その神輿である精霊舟を作ることから手伝った。
1週間ほど、精霊舟作りを親戚の人や大工の方の手を借りて作った。
りっぱな家紋入りの手作りの舟が完成した。
大勢の親戚が集まって、作った精霊舟は、みんなの「想い」がこもっていたと思う。
爆竹の鳴り響くなか、精霊舟流しは、行われた。
昔は川にそのまま投げ捨ててしまっていたようだが、最近は港まで持っていって最後はパワーショベルでばらばらに粉砕されてしまう。
何日もかけて作った舟が一瞬で「ゴミくず」に変わる瞬間だ。
しかし、これこそ祭りらしい祭りかもしれない。
手塩にかけたものが、一瞬にしてなくなる儚さがある。
昨年の震災は、わたし自身も被災者である。
被害をみるにつけ思うことがある。
とても不謹慎な言い方なのだが、これは「祭り」なのではないかと思ってしまうのだ。
竜巻のあと、津波のあと、地震のあと何もかもなかったことのようにして、一からやり直す。
いや、一からやり直せと天から言われたような気がした。
古くからある「祭り」は、このようなことを日常のなかに取り込んでいた。

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