現代人の宿題

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そういう気持ち

ネット検索とリテラシー

わたしは、時々授業中の学生に対し、「ここ検索すればすぐ出てくるから。調べて見て!」と指示することがある。(まあ、楽して説明の手間を省きたいだけなのだが…)
そんな時のわたしには、検索ワードが分かれば必要な情報にたどり着けるはず、という思い込みがあった。
しかし、検索ワードの組み合わせがとんちんかんだったり、そもそも検索ワードに何を入力すればいいのか分からないという学生も一定の数いることに気が付いた。

そして今日、ある高校の先生からこんな話を聞いた。

学生はネット検索できるが、必要な情報に行きつくような検索ワードだったり検索ワードの組み合わせを考えることができない。もし検索できたとしても、それを判断できるだけのリテラシーがあるとは思えない(話)

リテラシーである。
ここで「じゃリテラシーって調べて見てね!」などと言ってしまうとこの文章を書いた意味がなくなってしまうので、きちんと説明しておくと…

まず、英語でリテラシー(=literacy)という言葉がある。
リテラシーは、今手にしている情報や経験などをもとに、自分が必要とする情報に辿り着くことが出来る能力のことだ。
1を聞いて10を知る、とまでは行かなくとも基礎の知識から別の出来事に応用できるかどうかの能力を指す。
つまりは何をするにも必要な能力がリテラシーだ。
リテラシーが無いと学校の授業で習った事しか分からないということになってしまう。

先生が知識を隠していたから威厳があった

わたしはもうかれこれ5年ほど前から、先生という存在は必要無いと思っている。
ネット検索すれば、ほとんどの先生が普段教えている知識やノウハウなどは手に入る。その上、下手もすると先生が教えるより分かりやすかったり効率よく学習できるかもしれない。先生をやっているわたしが言うのだから間違いない(笑)
おかげで「先生」という威厳は現代から消えた。そもそも昔は先生がもったいぶって知識を隠していたから威厳があったのだとも言える。

現代人の宿題

ネット検索すれば、ほとんどの知識やノウハウなどは手に入る

と先ほど書いた。
ただしこの考え方には、前提がある。

各自が自分でネット検索が正しくできて、それを判断できるだけの能力を兼ね備えている

という大前提だ。これは大人、子供、学生、社会人という垣根は取り払って考えるべきだろう。
大人だからといって「ネット検索が正しくできて、それを判断できるだけの能力を兼ね備えている人」とは限らない。

ではどうすれば良いか?

書物を読んだり、自分の頭で考えることを習慣にする

というありきたりな考えしか今のわたしには思いつかない。
ところで自分の頭で考えるには、一定の時間が必要だ。その時間を確保できるかどうかは、現代人の宿題かもしれない。
わたしはできるだけ休みの日などは、ボーっとして自然の木などを見るようにしている。

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