世の中のちょっと面倒なこと

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空き家の維持は大変な労力だ。
わたしには遺産相続した空き家(実家)とそれに付属する土地がある。
わたしのように住んでいる場所と相続した土地とが離れているとなお辛いことだろう。

特に場所が田舎だと梅雨から初夏にかけては雑草との戦いだ。
わたしの場合、住んでいる所も田舎なら、相続した空き家も田舎である。雑草との戦いが2倍に増えたわけだ。おまけに高速道路での移動付きで。

幸いわたしはお金に恵まれているので(自慢じゃないです!)そうした小面倒なことは全て業者に任せてしまえばいいのだが、そうはしていない。
実家を出て何十年と経つし、わたしが住んでいた家でもない。(わたしが実家を出てから父が建てた家だからだ)関係ないと思えばそれまでの話。しかし、どこか腑に落ちない感じがするのだ。

本当に世の中のことが自分と関係ないのであれば、さぞかし自由だろう。
大震災が起きて原子力発電所が爆発したから、沖縄に引っ越した人がいたとの話を聞いた。そう言う問題だろうか。
どこか自分たちさえ良ければとか、自分とは関係ないと思ってはいないか。

もちろん目の前で大火事でもあれば逃げるだろうが、何百キロと離れたところで爆発した原子力発電所のニュースを聞いて大した知識もないのに逃げるのは変だ。今まで住んでいた場所なのに。
震災当時、母国に帰った外国人も多かった。帰った国は、よほど安全なのだろうか。
わたしは、世の中に存在するちょっと面倒で逃げたくなるようなことを「関係ある」事だと思いたい。

週末を利用して、実家である空き家の草刈りに来ていたわたしは、一人疲れて休んでいた。
玄関に座ってぼーっとふる里の山を見ていた。
小さい頃からいつも見ていた山並みだ。先程草刈りをした庭は、もともとは畑で、小学生の頃はよく草取りや玉ねぎ植えを親にさせられた。そんな事を考えながら、あらためて山を見ているうちに、石川啄木の詩が思い浮かんだ。祖母がよく色々な詩をわたしに聞かせてくれたが、これもそのうちの一つだったかもしれない。

ふるさとの山に向かひて言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな

わたしは、まさにこの詩の心境にあった。
昔から知っていた詩だったが、本当にその心境になるということはまれだ。
ああ、啄木もこういう気分だったのかな、と思いながら山を見ていた。

なぜ、面倒くさいと感じてやっていた辛い草刈りの後にこの詩を思い出したんだろうか。
久しぶりにまじまじと故郷の山を見たからか。
今まで育ててくれた親や土地への感謝の念か。

ふるさとの山はありがたい、と感じた事に感謝しつつ、まだまだ自分には、ここでやり残していることがあるのだと思った。

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