プログラミングと文章力

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そういう気持ち

何もすることがない日、わたしはプログラムのソースコードを読むことがある。
(けっして格好つけている訳ではない。友達がいないからだと思う)

どんなソースコードを読むか?
例えば、以前ちょっとしたアプリを作ってみようと挑戦して途中で理解出来ずに辞めてしまったソースコードなどだ。
何もすることがない日は暇なので、プリンタでわざわざプログラムのソースコードを印刷してから読む。

プログラムに関しては地図みたいに広げて読むのが一番だと思っている。
印刷した何枚もあるプログラムをわざわざ畳の上に広げて見るのだ。読むというより見ているだけの時もある。なぜなら理解できないから。

わたしは諦めが悪いたちなので、実は何回となく繰り返し読んでいるソースコードがある。
でも理解できない。理解できないからまた思い出したように読む。いや、見る。
ネットで調べればすぐに理解できることは多いかもしれない。でもわたしは、ただ紙に印刷したプログラムのソースコードを眺めていたりする。

何回も見ていると時々理解できることもある。本当に時々だが。
今まで理解不能だった部分が突然意味をなしてくるのだ。
一つ理解できると付随して別の箇所も理解できるようになったりする。
これはなんだか一つ単語の意味を知って、文章や外国語の意味が理解できてくる過程に似ている。

そうは言っても、わたしの理解できることなどたかが知れている。だからわたしはいまだに満足なアプリも作れないのだ。
もしかすると文章力にプログラミング力は比例しているのかもしれない。
文章がろくに書けないからプログラムもろくなものが作れない。満足なプログラムが作れないのは、満足な文章が書けないことの裏返しでは?

などと落ち込みつつも、一つのコードが理解できると嬉しかったりする。

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