ドラえもんについて

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以前、学校でのプログラムの授業でif文(分岐処理)についてどんな話をしようかと考えていたときのことだ。
「if=もしも」という言葉が思い浮かんだ。
「もしも」と言えば私はどうしてもドラえもんにでてきた「もしもボックス」を思い出す。
「もしもボックス」こそ究極の道具だ。
人生の中で人は、色々な「もしも」を考える。


 -もしも、自分がお金持ちだったら とか
 -もしも、あのときフラレテいなければ とか
 -もしも…
色々な「もしも」が試せるわけだからわたしは究極の道具だと思ってしまう。
そもそもドラえもんに登場する道具は夢があっていい。
機械ではなくて道具というところがまたいいのかもしれない。
機械だととっつきがたいイメージがあるが、道具だと「手で持って使う」といった身近さがある。
道具って自分の能力が上がるわけではないが、それを使うことでちょっとだけ自分のできなかった事が出来るようになる。
パソコンにしろ携帯電話にしろ自分の能力だけでは出来ない事をちょっとだけ背伸びして届くようにしてくれる道具がある。
こんなこと授業で話せばどうだろうかと考えていまだ話してはいない。
ドラえもんを描いた藤子不二は偉大だ。
多くの人たちに「夢」を見させてくれているから。
わたしはそれに比べると、自分が夢をみることだけで精一杯のような気がしてくる。
「もしも…」と。

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