クリスマスについてもう一度考えてみた

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わたしは「今年のクリスマス、どう過ごすの?」と聞かれることが大嫌いだ。
「クリスマスどう過ごすの?」と他人に聞くのであれば、「建国記念日どう過ごすの?」とかもぜひ聞いて欲しいものだ。


一部の消費をあおる企業や団体にクリスマスをやらされている感は否めない。
ハロウィンしかり、バレンタインデーしかりだ。
他人が楽しそうにしていることに水を差す気はないが、わたしたちは「何もしない」という選択肢をもう少し持つ必要があるように思う。
ところで日本でのクリスマスは、キリスト教国のクリスマスとは別物である。
日本では、だれもキリストの生誕など祝ってはいない。子供等にきくと「えっ、そうだったの?」という始末だ。
アメリカ人から見ると日本人のクリスマスは異様にうつる、とニュースにあった。
・家族と過ごさずに、恋人と過ごす
・ケンタッキーを食べる(並んで買っている)

なぜ???という感じらしい。
わたしは小学生の頃、クリスマスは親にだだをこねれば、何か素敵なプレゼントを買ってもらえる日だと本気で思っていた。
クリスマスも以前ほどは季節感もなくなった。
早ければ10月くらいからクリスマスケーキの予約注文などしている。25日にスーパーに買い物に行くと昨日はあんなに売っていたチキンは跡形もなくなっていた。
昨日そこにクリスマスケーキが置いてあったであろう場所には、年賀の門松やしめ縄がうずたかく積まれていた。
門松を準備した店員さんは、昨日はケーキを積み上げていたのだろうか。
一休禅師(一休さん)が詠んだ句を思い出した。

門松は冥土の旅の一里塚
有り難くもあり、有り難くもなし

(みんな正月がきたといって浮かれているが、また一つ歳をとっただけで死に近づいているのだ。
 正月は有り難いが、死に近づいたと思えば有り難くもない。)

といった意味だ。
そんなに急いでどこへ行く、といったところだろうか。
人生は常に死に近づいていく旅だ。
どうせ死ぬなら時には浮かれてみるもよし。正月もクリスマスも。

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