たとえるなら高速道路で急ブレーキを踏んで降りるという行為

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【2017年8月12日 右は西瓜、左は?】

10年前の自分が、現代の電車に乗ったら異様な光景に目を疑うに違いない。
誰もが手のひらサイズの長方形の物体に目を落として、無言で指を動かしているのだから。

スマートフォンを常時携帯し、一日のうちに何度もSNSにアクセスし、ゲームを楽しむ人たちを、我々は常日頃目にしている。わたしも教師という仕事柄、学生たちが休み時間になると、真っ先に勉強道具をほおり投げ、スマホの小さな画面に釘付けになるのを毎日のように見る。

今の時代、「ネットを使わず、SNSを辞め、スマホや携帯電話を手放す」という行為は、「高速道路を走っている車で、急ブレーキを踏んで、車を降り、自分の足でで歩く」という行為に近いかもしれない。

現代社会を車のドライブに例えると、わたしたちは普通の道路から高速道路に入ったまま、高速道路を下りることなく走り続けている状態ではないか。
スマートフォンを核としたネットの常時接続。これを日々使うことは、「高速道路を下りることなく」生活を営む行為だ。

ネットの世界に身をゆだねることは、緊張を伴う。
LINEやFacebook、TwitterなどSNSのやり取りは、スピード感と周囲に対する意識が求められる。他人(不特定多数の)の目を気にして写真や文章をアップするという行為だからだ。他人の目を意識して疲れない人はほとんどいない。
この場合の疲れは、身体というより脳の疲れだ。

高速道路を運転したことがあれば分かることだが、最初は速いと感じていたスピードにも「慣れ」が生じてくる。100kmで走行していても、40kmくらいにしか感じられなくなってくる。
わたしのように人生の途中からネットの常時接続を体験している世代でも、このSNSのスピード感に慣れてきた頃だと思う。

現代の「高速道路」であるSNSの常時接続に「慣れ」を感じてきた人たちにあえて提案したい。
SNSを辞める、あるいは意識して使わない、という行為をだ。

理由は一つ。
自分の人生」を生きていくためだ。

他人の目を常に意識して生きていくことは、自分の人生を生きる事ではない。
高速道路を下り、車を下り、自分の足でもう一度歩く。たぶん疲れる。身体が(笑)
でもそれが自分なんだと思う。

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