しょせんは釈迦の手のうち

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孫悟空は、釈迦の手のひらから抜けることはできなかった。
子供の頃、なんども読んだ好きな物語に西遊記がある。


わたしが持っていた「西遊記」の本はまさに子供向けといった感じの絵本だった。
猿の孫悟空(そんごくう)、豚の猪八戒(ちょはっかい)、河童の沙悟浄(さごじょう)たちが活躍するこの物語は、孫悟空が自身の能力を過信して世の中や周囲を舐めてかかるシーンから始まる。
子供心にも、きっと孫悟空には手痛いしっぺ返しがくるのだろうと思って読み進める。
案の定、孫悟空は鼻をへし折られるのだ。
この世の果てまで觔斗雲(きんとうん)に乗ってひとっ飛びしてきた孫悟空は、この世の果てで見つけた大きな石に証拠とばかりに何やら書き付ける。戻ってきた孫悟空が釈迦の手を見ると、なんと自分が書いた字が釈迦の指に書いてあるではないか。
わたしは子供のころに何度も「西遊記」の絵本を読んだせいか、
「しょせんは釈迦の手のうち」
という教訓めいたものが、わたしの心に強く残った。
今更ながら思う。
わたしの父や母は、わたしの子供のころの成長過程において、わたし自身が成長して自信がついたと思わせるような体験や環境を与えてきたのではなかったか。
わたしが好きなものは本当に最初からわたしが好きだったものなのか。わたしが自信をもって取り組むことができるものは、最初から自信があって取り組んでいたものなのか。
しょせんは釈迦の手のうち。
いづれ、わたしも釈迦になれるだろうか。

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