いまだに辿りつけない感情

高校を卒業して一人暮らしをしていた。
一人暮らしの生活は家賃が大きなウエイトを占める。少しでも家賃を浮かせたいわたしは、次々と安い下宿先物件をもとめて引っ越しを繰り返した。
親の世話にならないように、と考えて一人暮らしを選んだのに、下宿先で親に迷惑をかけるようになるとは思いもしなかった。

高校を卒業して親に世話にならずに暮らしていこうと考えていた。
わたしは、「夜間の短期大学」という今ではもう存在しない道を選んだ。
昼間は働き、夜は勉強に打ち込むような生活は数ヶ月も続かなかった。昼間は働くが、夜は勉強をしない生活に変わっていった。
昼間一日働いていてはとても夕方6時からの眠くなるような授業には打ち込めない。わたしは先生が取る出席の返事をすますと、すぐに席を立ち、学校近くにある定食屋へと友人たちとかけこんだ。夕食がすんだら学校に戻ることもあったが、しだいに夕食のあとは友人と遊ぶようになっていた。わたしや友人たちは翌年、仲良く留年をした。
それだけでも十分親に迷惑をかけていたと思うが、その後、更に迷惑をかけることになるとは。

わたしは当時、安い下宿先や条件の良い下宿先を求めて引越しばかりを繰り返していた。
わたしが3つ目に引っ越した下宿先には洗濯機がなかった。コインランドリーはお金が掛かる。
わたしはあることを思いつく。
ひとつ前に住んでいた下宿先には共同の洗濯機や風呂があった。いつでも自由に使用できる洗濯機と風呂がある。さすがに風呂は見つかったときに裸だと格好が悪いと思い、使うことをあきらめた。しかし、洗濯機なら夜中に使えば大家さんにもばれないんじゃないだろうか。わたしの頭に悪い考えが浮かんだ。実際、わたしは何度もその洗濯機を使わせていただくことになる。
勝手によその下宿先の洗濯機を借りることが悪い事だと感じなくなったとき、それは起きた。

ある日、洗濯ものを取りに行くと、あるべきはずのわたしの衣類が洗濯機にない。
わたしは、来るべき時が訪れたのも忘れ、洗濯機のまわりなどを探した。
わたしの洗濯ものなど、どこにもない。大家さんがどこからともなく現れ、お役ご免というわけだ。
その場で、大家さんからこっぴどく叱られた。たしか、人にはやっていいこととやってはいけないことがある・・・云々。
その後、大家さんからわたしの親に通報がいったらしく、親から電話が掛かってきた。
電話口の相手は父だった。
父はわたしを叱るでもなく、先ほどこんな電話があったとだけ淡々と話し、最後に「大丈夫か?」とだけ付け加えた。
わたしは拍子抜けしていた。てっきり大家さんからと同様にこっぴどく叱られると思い込んでいたからだ。わたしは自分のしたことも忘れ「なぜ叱らないのだ?」とさえ思った。たぶんわたしが親で自分の子が同じような不正をしていたとすれば、頭ごなしに叱っていたはずだ。なぜ?どうして?という感情がわたしの中で渦巻いていた。
その時、父に叱られなかったことが、わたしの反省をより強めた。自分が悪いことをしてしまったのだと。

ぐるぐる回る洗濯層を見て、たまにあのときの情景を思い出す。
わたしは、あの時の父の感情に自分がいまだ辿りつけていないことを知る。それはわたしの手の届かないところにある。

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