「心のノート」を再配布することの意味

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道徳教育用の教科書に『心のノート』というものがある。
一度読んだことがあるが、わたしの小学校時代にもあったような道徳の教科書をさらに「人はこうあるべき」と強調しているような本だ。今回再配布されるらしい。


ひとりぼっちの人がいたら声を掛けてあげよう、とか挨拶は明るくしたほうがいいよ、などという標語的な言葉が並び、みんなが手を繋いでいる写真が掲載されていたりと理想的な(あるいは平和的な)雰囲気を醸し出している本だ。『心のノート』を読んだとき、わたしは寒気がした。気持ち悪いといった方がいいかもしれない。教科書として使うべき内容なのだろうかと思ってしまったのだ。
国をあげて再配布する意図が分からない。夏目漱石や太宰治などの古典小説でも配布した方がいいのではないかと思うのはわたしだけだろうか。
「いい子」というのは、いい子ではない。わたしは子供を育てている最中なので良くわかる。
基本的には子供は反発するものだ。毎日毎日親や先生の言うことをきかないでいて同じことを毎日注意されてもまだ治らないで、ある日突然出来るようになったりする。子供は納得するまでに時間がかかるのだ。納得すると今まで出来なかったことが出来るように(いうことをきくように)なったりするものだ。大人の時間と子供の時間は全く別のものが流れている。だから親は「なんで毎日注意しているのにできるようにならないの!」なんて叱ったりする。
わたしも毎日そんなことを子供に言ったりしている。
「人はこうあるべき」を押し付けるような教科書で、学生に教えること自体は簡単だ。しかし、そこに学生の反発する余地がなくなっているとしたら恐ろしいと思う。
昔祖母からみせてもらった戦前の教科書を思い出した。
「アルヒ タロウサンガ イヌニ カバンヲヒッパラレテイマシタ」
「ソコニ ヘイタイサンガ キテ イヌヲ オイハラッテクレマシタ」
「ヘイタイサン アリガトウ」
兵隊さんが一番偉くて、日本の為に日夜働いてくれているという内容の教科書だった。
「兵隊さん」を奉ることも「友情」や「愛情」をことさら強調して奉ることも大して変わらないんじゃないかなぁと思うのだが。歴史は繰り返すということか。

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