沢山もらったピーマンの中にししとうが紛れ込んでいたからといって誰を責められよう。
ししとうのように見える細長いピーマンがあることをわたしは知っている。またピーマンのように辛くないししとうが野菜界に存在することも知っているのだ。
朝顔がなぜ夕方に咲いているのだ?そう言って親から「それは夕顔というんだよ」と教えられたのも今は昔。ひねくれた朝顔の奴が夕方に咲いてしまうことはないのだろうか?などと、ひねくれた考えを持ったのもまた今は昔。
世の中には似て非なるものが沢山存在している。
わたしという個人も家族の中では父であったり夫であったりしているが、満員電車の中にまぎれ込めばただの「人」。沢山あるピーマンの中の「ピーマン」に過ぎない。いつも誰かから「あいつは辛くないししとうかも?」と想像して欲しいと願っている。
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