人生を変えた〇〇

人生を変えた〇〇 そういう気持ち

雑誌の特集記事などで、芸能人がわたしの人生を変えた本とか、わたしの人生を変えたあの出来事などなど「わたしの人生を変えた〇〇」というものを見掛けたことがある。
残念ながら、わたしは今までそうした〇〇を感じたことがない。

というのも人生は刻一刻と変化している気がするからだ。
果たして人生を変えた人に出会ったとして、今までと違う行動をとったとする。

例えば、それまでは絵が下手だと思っていたのだが、中学校の美術の先生が、「君の絵はとてもすばらしい!」と褒めてくれた。自信が出来たその人は、大人になってイラストレーターの仕事に就いた。
その人は今現在イラストレーターの仕事に大変満足している。
だから、人生を振り返ってみたらあの時の先生の一言が私の人生を変えてくれた、などとなる。

しかし、だ。
ずっと絵が下手だと思って生きていく人生でも別の出会いがあるし、全く違う仕事に就いていてもっと幸せな生活をしているかもしれない。結果的にAさんに出会わなかったとしてもBさんには出会ったかもしれないのだ。
そう考えると人生のただの1点を指して有難がることもないのではないだろうか。

帰り道。
いつもと違う道を通ったら大金が落ちていてとか、滑って転んで怪我をしてとか。
なんだって起こりうる。
だから運命の出会いとか人生を変える〇〇なんてものは常日頃存在していると考えたほうが、毎日を愉快に過ごせるような気がする。

生きている限り、人生は読めないのだ。

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補足:
ネットをだらだら見ているだけでも人生変わるかもしれない。
眼が悪くなったり、肥満になったりして病院に行ってみたら良い出会いが…

ないよ!(生きている限り、動こう!)
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