別のエンディングをみるためにクリアしたゲームをまたプレイする

そういう気持ち
ペルソナ5 ザ・ロイヤル - Switch

すでにクリアした「ペルソナ」というゲームをまた妻がやっていた。
どうやらエンディングがいくつかあるゲームらしく、別のエンディングが見たかったようだ。

わたしもかつてスーパーファミコンの「かまいたちの夜」というサウンドノベルゲームをやったとき、別のエンディングを見るために何度もプレイしたことを思い出した。

ゲームは気軽にやり直せるところがいいところだ。
ところで、人生はときにRPGゲームなどに例えられたりする。
しかし、ゲームみたいにエンディングを自分自身の目で見ることはできないような気がする。

わたしは、人生のエンディングは目の前がブラックアウトするような感じで終わるのではないかと足りない頭ながら予想している。
そうなると、ゲームみたいに主人公(この場合は自分自身)の状態を客観的に見ることはできないし、セーブポイントに戻って別のエンディングを見ることもできなそうだ。

いくつものエンディングを見ることができるゲームとは、わたしの叶えられない欲望を満たすものなのかもしれない。

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