武田信玄がもう少し若ければ天下を取っていたのではないか、とは良く聞く歴史上のタラレバ話だが、そんなことをいってもしょうがないのだろうと思う。
その時、天下を取れなければ取れないんだろう。
【写真/2013年3月13日 林という字は林に見える】
わたしは日本史には詳しくないが、「風林火山」を掲げて戦った武田信玄とそのライバル上杉謙信には愛着がある。
二人が直接対決した川中島古戦場からほど近いところにわたしの実家があるからだ。
川中島には、武田信玄と上杉謙信の一騎打ちのシーンを再現した大きな銅像がある。
「大きな銅像」とはいってみたものの、わたしの記憶は小学校当時のものなので、もしかするとそれ程大きくないのかもしれない。
当時はその像像が格好良く大きく見えた。
勝負は時の運。
運も実力のうち、というのはやはりその時、その時の状況でライバルがいなければ自然と勝ち組に入る場合もあるだろうし、ライバルを倒し天下を手に入れることもあるのだ。
まあ、大抵の人は天下を取るような勝負はしていない。じゃんけんで勝った負けたとか、クラスで一位になってライバルに勝ったぞ、くらいだ。そもそも勝負する「ライバル」や「相手」がいるならいい方なんじゃないだろうか。
もし武田信玄が天下を取っていれば、「風林火山」という言葉はもっともっと有名になり、多くの人が好き好んで使う言葉になっていたのだろうか。
遠ざかること風のごとく
静かなること林のごとく
侵略すること火のごとく
動かざること山のごとし
と小学校の頃「風林火山」の意味を教えられた。戦う上での心得のようなものだったらしい。
大人になってからこの言葉が「孫子」の兵法の言葉の一部だと知った。
「風林」の部分「火山」の部分とも静と動を表していると思うが、わたしはとりわけ「風」と「林」の部分が好きだ。
時勢に応じてこれらを使いこなせば、勝てるものとして戦っていたのだろうが、武田信玄は天下を取る事が出来なかった。
それでも「風林火山」という旗が戦場にはためいていた当時の光景は一度でいいからみてみたい。
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