わたしは生命保険に入っていない。
理由は、健康で生きていたいからだ。「身体が」というよりは「心が」である。
生命保険の起源は、大航海時代だと記憶している。
東インド会社は、香辛料の貿易で多くの利益を得ていたが、その貿易に使う船は高い確率で難破の危険にさらされていた。巷では船が港に戻ってくるか、難破するかを賭け事にしていたそうだ。これが生命保険の始まり。ちっとも生命保険ではないが、この賭け事の始まりが歴史の中で生命保険というものに変化していった。
わたしの予想では、賭け事をしていた人があるアイデアを思い付いたのだ。
例えば航海に出る船乗りの妻をつかまえて、
「俺に一万預けないか?もし、あんたの夫が航海から戻ってきたら預ったカネは俺が頂く。
ただし、あんたの夫が航海から戻ってこなかったら、カネを100万あんたに渡す」
と言った感じで…
実際に自分一人が生活していくのに生命保険など必要ない。たまに独身の人が生命保険に入っている。何のためだろうと思ってしまう。基本的に家族がいる場合、人は生命保険の加入を考える。わたしも妻がいて子供もいるが、実際に妻に先立たれた場合、ぜいたくなどしなければ家族を養っていけないわけでもないので、生命保険には加入していない。最近は夫婦共働きも多い。わたしの家などは、妻の方が収入が上だ。死んでも安心である。
死んだらお金が貰える生命保険は、死んだ人からの収入が断たれたとき、残された遺族が生活出来なくなる場合にのみ必要なものだ。現在の日本は十分に社会保障が充実している。収入が無い人は生活保護が受けられる。生命保険に加入する必要はあるのだろうか。なけなしの金を削ってまで。
生命保険にがん保険などの医療保険、自動車の車両保険など必要以上にみなお金を使っている。給料の4分の1いや3分の1くらい保険に支払っている人もいるのではないか。保険のために仕事をしているようなら本末転倒だ。
死んだら死んだ人の分お金が浮くのに、そんなに毎月生命保険に支払ってどうするのだろう。<万が一の死にも安心>のうたい文句が生命保険の広告に踊るが、<死んだ方が安心>なのではないか。
医療保険も同じだ。
例えばがん保険に入ったら、がんに罹っても安心なのだろうか?医療保険は生命保険以上に高価な分やっかいな代物だ。医療保険に加入して安心してしまい、病気に罹ってもいいんだとなってしまったら悲しい。健康が第一であって、病気は予防が一番効果的だと医者も言っている。病気には保険が一番だとは保険会社以外は言わない。
いつ死ぬのかわからないわたしたち。生命保険に加入するという行為は、至極真っ当な考え方のように見える。相手が望むのなら仕方がないが、自分が死んでお金が配偶者なり子供になり渡ったところで、それでその人たちは幸せになれるのか。わたしはむしろ残された遺族がお金を手にしない方が頭を使って人間らしく生きてゆける気がしてしまう。
人が死んで得たお金で幸せになれるとは思えない。
保険には入らずに生きていく方が、身体を気遣って健康を維持出来るし、お金との関わりを減らす意味でも、心が健康になる気がする。
コメント