都市伝説セピア
朱川湊人(著)
わたしの中で、著者の朱川湊人はもっとも「昭和」という時代の空気を感じさせてくれれる作家だ。
朱川湊人の描くホラー小説は、血なまぐさいというよりどことなく物悲しい雰囲気を含んでいる。
もう帰ってこない時代の空気というのか。それがわたしにとっては朱川湊人の描く「昭和」なのかもしれない。
本書の時代背景は現代である。
しかし、本書で登場する(あるいは回想される)時代や物においての時代背景は「昭和」である。
わたしを含め多くの昭和を体験した人がそうであるように、昭和の記憶というのは、前後関係はバラバラであることが多い。
しかし、やはり昭和を体験した多くの人がそうであるようにカテゴリとして昭和なのだと思う。
「仮面ライダー」と「ウルトラマン」のどちらが先かではなく、どちらも昭和なのだ。
本書の『昨日公園』でも昭和は存分に顔を出す。
主人公の男の子が友達と「キャッチボール」をしている。
友達から主人公がつけられたあだ名に関するくだりには、「ドリフターズ」がでてくる。
クラスの女の子が「浅岡めぐみ」に似ていることだとか、遊びから帰って夕食に見るテレビ番組が「仮面ライダー」だったり、いつか自分が通ってきた道を小説の中で繰り返しているような気分になる。
いや実際には、わたしはこの時代背景よりは何年か後の昭和を体験しているので、すべてが自分の生まれる前の話であるのだが、朱川湊人の小説を読むと「ああそうだったよなぁ」と思ってしまうのだ。
『昨日公園』のラストでは少年の日の忘れ難い記憶が、自分の息子からつげられる。そしてどこか物悲しい。
オール讀物推理小説新人賞を受賞した『フクロウ男』は、江戸川乱歩シリーズの「黄金仮面」や「妖怪博士」などを彷彿とさせる。
事実、この小説の中に江戸川乱歩に影響を受けた主人公である犯罪者が出てくる。
そうは言っても時代背景は現代だ。
インターネットを使って「フクロウ男」の都市伝説を増幅させるあたりはまさに現代の犯罪である。
この犯罪者に対して×をつけられる人がどれだけいるだろうか。
江戸川乱歩の描いた怪人二十面相は、犯罪者である。その犯罪者にどこかワクワク期待してしまう自分がいる。
このフクロウ男に対してもいつの間にかワクワクし、期待をしているのだ。
インターネットの普及した現代、自分も「フクロウ男」なのではと考えてしまう。
仮面ライダー、ウルトラマン、ドリフターズ、万博、江戸川乱歩の少年探偵シリーズ、路地裏でのキャッチボール、ザリガニとり、夕焼け空…わたしの心の中では、これらのものが全て同じレベルで「昭和」というカテゴリに入っている。
朱川湊人の描く小説は、どれもわたしの中ではもう来ることのない「昭和」だ。
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