夜行
森見登美彦(著)
わたしの購入した文庫本の中に「夜行列車の淋しさを封じこめた小説です。良い旅を!」と書かれた著者メッセージカードが入っていた。読後のわたしの感想は、まさにその通り、といった感じである。
京都「鞍馬の火祭」の最中に失踪した1人の女性をめぐり繰り広げられる過去と現在をめぐる物語、それが『夜行』だ。
10年前、主人公である大橋君は、学生時代に通っていた英会話スクールの仲間5人と京都「鞍馬の火祭」に行く。祭りの夜、一緒に行った長谷川さん(主人公が当時気になっていた女性)が失踪する事件が起きる。
10年後、長谷川さん消息は、依然として不明のまま。当時祭りに参加した仲間が主人公大橋君の呼びかけで再び京都に集まるところから物語は始まる。
電車という密室は思えば不思議な空間だ。乗り合わせた者同士が皆同じ方向に移動しているのに、各々の目的地は違う。昼間に乗る電車に対して、夜を行く「夜行列車」は、自分の顔や乗り合わせた人の顔が向かいの窓に写り込んで、昼間とは違った景色を見せてくれる。
本作の中での「夜行」という言葉には、3つの意味がある。1つは、夜行列車の意味。2つ目は、百鬼夜行の夜行。3つ目は、本作の重要なアイテムにもなっている銅版画の作品名である「夜行」だ。本作に登場する銅版画作品「夜行」は、岸田道生という芸術家の作品という設定で、作品は全部で48作あることになっている。銅版画の「夜行」には、必ず顔のない女性が1人描かれている。物語が進むにつれ、主人公と4人の仲間、そして長谷川さん。一緒に京都の「鞍馬の火祭」に行った5人がそれぞれ違う場所でこの銅版画と関わっていく。
本作は、主人公を含めた5人が、再び顔を合わせた京都で、1人ずつ過去を語るという形で物語が進んでいく。タイトルには、それぞれ「第一夜」、「第二夜」…「最終夜」までの5章構成となっている。本作のジャンルはなんだろう?ホラーなのかSFなのか、はたまた青春小説なのか。ジャンルでくくることの出来ない魅力が『夜行』にはある。
「第一夜」を読んで頂ければ、わたしがホラーだと言った理由が分かって頂けると思う。そして「第四夜」まで読み進めると失踪した長谷川さんの事がいやでも気にかかってくる。満を持した「最終夜」の語り手は主人公である。小説内の言葉を借りるなら「彼女(長谷川さん)はまだ、あの夜の中にいる」のだ。
『夜行』を読み終えた後、わたしは1つの記憶が蘇ってきた。
中学生の時、クラスメイトと行った修学旅行だ。旅程には、本作の舞台でもある京都も含まれていた。その旅の中でわたしが一番憶えているのは、京都の街並みなどではなく、帰りの夜行列車の中でのことだ。あの当時なぜかは分からないが、帰路は鈍行の列車だった。京都を出発したての頃は、まだクラスメイト達も元気でトランプやら何やらで遊んでいたように思う。次第に旅の疲れも出てきたのか1人2人と遊びから離脱して、いつの間にかわたしは2人ずつ向かい合わせで4人が座ることの出来る席に1人腰かけていた。窓を開けはなして夜風を顔に受けると冷んやりとして気持ちがいい。通路を隔てて友人が1人座っていた。わたしの目は直接友人を見てはいない。わたしは窓に写った友人を見ていたのだった。わたしは誰に言うともなしに「いい風だ」とつぶやいたような気がする。友人は「ずっとこのまま乗っていたいねぇ」と言った。
寂しさを封じ込めた小説なのだ。『夜行』は。
それも悪い意味での寂しさではなく、良い意味での寂しさだと最終章を読んだとき分かるのではないだろうか。
夜は夢の入口と同時に物語の入口なのかもしれない。
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