帯には「永遠の青春小説」とあった。
「もしも君が、ほんとにこの話を聞きたいんならだな、まず、僕がどこで生まれたかとか、チャチな幼年時代はどんなだったのかとか、僕が生まれる前に両親は何をやってたかとか、そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ、実をいうと僕は、そんなことはしゃべりたくないんだな。第一、……」
白水ブックス「ライ麦畑でつかまえて」J.D.サリンジャー・野崎孝一訳 より
などという主人公の語り口調で始まるこの小説は、読者の期待をうらぎること間違いなしだ。
わたしが読んだのは、同じ原作小説を村上春樹が翻訳した「キャッチャー・イン・ザ・ライ」ではなく、野崎孝一訳「ライ麦畑でつかまえて」の方だ。(ちなみに村上春樹の文体が嫌いなので「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は読む気がしない)
冒頭のような語り口調がいつ終わるのだろうと読み進めていくと、いつしか小説は終わっている。
そうなのだ。最後までこの調子なのだ。
若い時に(すなわち青春時代に)この小説を読んだときよく分からなかった。
悪く言えば期待をうらぎられた。
50歳を過ぎてから「ライ麦畑でつかまえて」を読み、わたしの考えは変わった。
小説を読んで何かを得たい。物事の考え方や視点を新しくしたい。などといったことがいかに馬鹿げていたのかこの小説を読んで分かったのだ。
なぜか思い浮かんだのは、大事MANブラザーズバンドのヒット曲「それが大事」で、どこかこの小説とつながっている気がした。
ここにあなたが いないのが淋しいのじゃなくて
大事MANブラザーズバンド『それが大事』より
ここにあなたが いないと思う事が 淋しい wow
実は、小説を読んでどうしても気になった箇所がある。
小さな女の子が「ライ麦畑でつかまえて」という歌を口ずさみながら主人公の前をとおりすぎるシーンだ。それを見た主人公が、「ああいい光景だな」と感じ入るシーンなのだが、この曲は本当に存在するのだろうか?
調べてみると、わたしの世代ならドリフターズで加藤茶たちが歌っていた曲で有名な「誰かさんと誰かさんが麦畑~」のメロディーと同じということがわかった。
原曲は、「Comin’ Thro’ the Rye」で、日本では歌詞は全く異なるが「故郷の空」という歌として有名だ。
何のことは無い。わたしが子供の頃から知っていた曲だったわけだ。
どれもいい曲だと思ってしまうのはわたしだけだろうか?
『Comin’ Thro’ the Rye』
『故郷の空』
『誰かさんと誰かさん』ドリフターズ版
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