わたしは昨年(2012年)末に携帯電話を解約した。
携帯を失って約1ヶ月。見えてきたものがある。
まずは周りの反応から。
仕事柄携帯電話をそれほど使う方ではなかった為、職場での反応は特になかった。
友人や夫婦間でも支障はなかった。わたしの友人は、携帯で連絡を取り合わなくてもつき合っていける友人なのかもしれない。妻は携帯を持っているが、わたしも妻もまめにメール等で連絡を取り合うことはほとんどない為、妻から文句を言われることもなかった。
見えてきたもの。
まずは、自分の身の回りの世界に目がいくようになった。
特に自然に目がいく。わたしは自然豊かな土地に住んでいる。今現在、季節は冬だが、晴れた日の空は空気が乾燥して澄んでいることもあり、とても青い。綺麗な空だ。太陽の光も暖かい。たまに浴びると気持ちがいいものだ。しかし、これらはわたしが携帯電話を使っていたときも身の回りに存在していたものだ。
人にも目がいくようになった。
なにしろ携帯電話を操作していないのは、わたしくらいのものだ。あたりを見回すと老若男女だれしも携帯電話を操作している。散歩している年配の方や犬の散歩をしている人。ジョギングしている女の人は携帯持って耳にイヤホンをしている。わたしが携帯を失ってから見た世界は『携帯のある生活』の世界だった。
多くの人が目の前の現実を避けて小さなディスプレイに見入っている様に見えた。
目が悪くなる訳だ。
あらたに分かったこと。
携帯電話がなくても生活していけるということだ。
わたしが「携帯やめました」と職場で伝えたとき、「自分が携帯を辞めたら…ちょっと考えられないです」と言った若い社員がいた。携帯のない生活は想像がつかないらしい。わたし自身、携帯電話を解約する前はやっていけるだろうか少し心配があった。でも何のことはなかった。10年前はほとんど使っていなかったのだから。
たぶんわたしと若い人との間には差があると思う。なぜなら、物心ついたときから携帯を使っていた若い人と便利なものができたといって使っているわたしのような人では携帯に対しての考え方が根本的に違うのだ。待ち合わせとかどうするんですか?とか言われそうだ。とにかくわたしは携帯がなくても困らない。むしろ充電を気にする必要もないし、携帯というほど携帯でなくなった昨今の携帯電話を持たなくてすむので、身軽になった。
以前は携帯を忘れると隔絶された不安な気持ちが少しあったが、今では携帯を持っている方が不安だ。急に連絡が入るかもしれないという「待ち」の姿勢が不安を増幅させる。
先日大雪が降って、わたしの田舎の路面はアイスバーンになった。
通勤途中の下り坂で反対車線を走っていた一台の車がスリップして登れなくなってしまいみるみる車体が横に流れて行く手を遮ってしまった。しかもアクセルを踏んでもタイヤが滑るだけで前にも後ろにも動けなくなってしまった。わたしはその車の3台ほど後方にいて見守っていた。これは車体を押すしかないだろうと思ってまわりを見回すと誰も助けようとしている人はいない。ほとんどの人が携帯を手にしていた。
前も後ろも通勤時の車が詰まってきて渋滞になってしまったため、わたしはスリップした車を助けようと車を降りた。周囲では携帯を手にして会社にでも連絡しているのだろう、誰も車を降りては来ない。しばらくわたしが車を押したり通行整理したり(いつの間にか通行整理になってしまった)している内に何人かは車を降りて手伝ってくれた。わたしも携帯電話を持っていたらまずは携帯を手にしていたかもしれない。携帯には「まずは携帯」という魔力がある。
携帯を失って見えてきたもの。
何のことはない。以前、わたしがしていた生活だった。
一つのものに全てを任せることは限りなく大きなリスクといえる。
ただ、携帯より斬新な便利なものが世の中に出てきたら、わたしはきっとその魔力に抱かれ使ってしまうだろう。
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