10年前と変わった点
わたしは仕事柄パソコンの大小さまざまなアプリケーションを利用する。
十年ひと昔と言うが、アプリのインストールに関して一番の変化は、インストール方法だろう。10年前ならCDやDVDでアプリのインストールメディアが提供されていた。今では全てのアプリをインターネットを通じてダウンロードするようになった。
もう一つ大きく変わった点がある。
インストールしたアプリに関する情報やアプリのメニュー表示などがほとんど日本語で提供されなくなった。
フリーソフトの世界では、日本製は別として海外の有名なソフトでもメニューが英語表示しかないものなどざらにある。ヘルプなどを見ても一見日本語なのだが、翻訳ソフトを通した変な日本語なのだ。(まあ、最近の翻訳ソフトは高性能なのであまり違和感がない。むしろ日本人でも変な日本語の人はいる)
情報処理の世界から見た日本語
わたしがプログラミングの授業で使うマイクロソフトのVisual Studioというアプリ開発環境などは数年前から公式ページのヘルプが全て英語になってしまった。日本語で表示はできるがやはり翻訳された日本語なのだ。日本人向けに力を入れなくなったのが良く分かる。日本人の英語力が上達したから日本語バージョンを作らないのか、それとも日本語でのメニューを提供するメリットが無いからなのか。
日本人がペラペラ英語を話せるようになる必要はないと思うが、ある程度の英文を見て意味が分かるくらいは必要になってきた。(というかそうせざるを得ない状況になってしまった!)
なぜならネットの世界では、最新情報はほとんど英語で提供されているから。
そもそもコンピュータの仕様もコンピュータを動かすOSの仕様もすべてはアメリカが牛耳っている。
もちろん、日本製で世界と互角に渡り合えるハード&ソフトでも出現すれば、状況は変わるのだろうが可能性は薄い。
さて、どうする?
さて、この状況を英語を学ぶいい機会だと考えて英語習得に人生を費やすか、それとも翻訳技術のさらなる進歩を待って気楽に空でも見て過ごすか。
わたしは空でも見て過ごすとする。(別に翻訳技術の進歩を待ちたい訳でもなく、わたしはひねくれ者なのだ。猫も杓子も英語を学ぶようになると皆と違う方向に行きたくなってしまうのだ)
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