夏休みの宿題というと、思い出すものがある。
夏休みの宿題とともに提出せざるを得ない「夏休み計画表」だ。
わたしが小学生の頃は、毎年のように書いていたと記憶している。
今思うに先生は「夏休み計画表」なぞチェックしていなかったのではないだろうか。なぜなら、夏休みの宿題と一緒にこれが入っていたからだ。計画なら事前に提出すべきものだろう。夏休みが開けてから提出する夏休み計画表に何の意味があったのか。
話を「夏休み計画表」に戻すと、計画表は、大きく二つに分けてあり、一日の過ごし方を決めるための円グラフのような部分と一日毎に何をするかを書き込む欄とで成り立っていた。
円グラフのような部分には、何時に起床や就寝時刻、勉強は何時から何時までするか、とか自由時間(要するに遊ぶ時間)を何時から何時までなどと書き込むようになっていた。家の手伝い時間、花の水やりなどと適当に書いていたように思う。
一日毎の記入欄では、宿題はいつからいつまでに終わらせて、自由研究は後半などとこれもまた適当に書いていた。わたしの家族は夏休みに旅行に行くことが多かったので、こればかりは正直に書いた。(要するに家族旅行以外、嘘の計画表だったわけだ)
低学年の頃は、正直に起きてから寝るまで「自由時間」などと書いてみたが、やはりそれは先生や親受けするものではなく、学年を経るごとに、「勉強」や「手伝い」などの項目を入れてバランスを取るようになった。
友達と自転車で禁止されている遠い地域まで行ったり、川にいって水浸しになって時間を忘れたりすることが仕事の小学生に取って、計画表は意味をなすものではなかった。夏休みが終わって宿題を提出する際、この紙をチラっと見た時、「ああ、出来もしないことを書いたな」と一瞬さみしく後ろめいた気持ちになったことはある。
きっと「夏休み計画表」の目的は、親や先生が言う「遊んでばかりいないで、勉強しなさい!」だったのだろう。
ところで、大人になった今のわたしには、先生や親が納得するような計画表を提出する必要もない。
ない、が人生の目標や計画は時々書いて(心のうちに描いたりして)いる。
不思議なことにそれら「人生の計画表」は、「夏休み計画表」と同じく半分も実現出来た試しがない。
夏休みの終わり、自分が書いた計画表を見て感じた一抹のさみしさは、今も続いている。
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