名も無き創造物

木の文化と石の文化があるとして、どちらが後世に残るものだろうか。

父が作った物置の戸が台風の影響で、壊れてしまった。
最近の父は病気のせいで力が入らないため、わたしが修理することにした。父が作った物置の内部を見た。設計士だった父らしく適当に作った感がない。寸法がきっちりと測られている。外見はそれ程ではなかったが、内部は奇麗な気がした。
壊れた物置の戸は、下の部分が少し腐ってしまい交換しなければならないような状態だった。とりあえずあるもので修理しようと廃材で戸を補強した。
わたしは修理をしながら、この戸は、どれだけもつかな、と思った。10年もつ気がしない。いや、3年だって無理だ。しかし父の物置は、作ってから10年以上たっているのだった。わたしの修理する技術や使っている木の寿命からすれば、1年ももてばいいほうだ。そんなことを想像しながら、日本に古くからある仏像や神社や仏閣、ぜんぶ木でできているのだなあ、と感慨深げに一人で頷いた。

対して、石を中心とした文化圏がある。仏像が石を使って作られていたり、住居に石を使っていたりする。気候と環境によるものなので、木と石どちらが優れているかという問題ではない。しかし、世代を越えて残っているものは木より石のほうが圧倒的に多いのだろう。特に父の物置のような一般庶民が作ったものなどは。

その当時でしか見る事ができない創造物は貴重だ。
それが有名な人の作ったもの、でなかったとしても。その作品には、その人が表れているに違いないからだ。そんな名も無い作品の数々を時を越えて見てみたい気がする。

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