パソコンに重大な被害を与えるコンピュータウイルスの歴史は、古いところで1980年代にさかのぼる。ただ、その当時のコンピュータウイルスは、指定した日がくると画面にメッセージが表示されるとか音楽が流れるといった無害な(今となってはカワイイ?)ものが多かった。
1991年の「ミケランジェロ」というウイルスが、パソコンのデータを破壊した最初のウイルスだと認知されている。しかし、この当時は、インターネットの速度もまだ遅い時代で、感染源がフロッピーディスクによるものが多かったため、現代ほどは被害が甚大ではなかった。最近では、パソコンだけでなくスマートフォンなどの携帯端末もその対象となるため、被害は甚大となる。
ウイルスという言葉の定義を調べた。
「生物と無生物の中間。ウイルス単体では生きていくことができないが、細胞などに寄生することで、生命を維持でき、自らのコピーを大量に作り出すことができる」となっている。
人の病気でいうと、インフルエンザなどがこれにあたる。コンピュータウイルスの定義もほぼ同様だ。ウイルスは、人がいないと媒介しない。生きていけない。コンピュータウイルスの場合は、人の変わりに「パソコン」がないと生きていけないということだろうか。
インフルエンザなどと違って、コンピュータウイルスの場合、感染したかどうかは、見た目にはわかりにくいものだ。
パソコンの画面上は、いつも通り。裏ではウイルスに感染し、大切な個人データを破壊したり、不特定多数の人にばらまいている、などなど。
<目に見えない敵>といって良いだろう。
わたしが知っているコンピュータウイルスによる被害を防ぐ方法が一つだけある。
パソコンを隔離することだ。インターネットにつなげない。データを誰ともやり取りしない。これを守れば一生コンピュータウイルスとは無縁だ。もちろんそんなことをすれば、パソコンやスマートフォンが、ただの不便な箱になり下がる。<便利な箱>から<ただの箱>になってしまう。とはいえ、よくよく考えてみると10年以上前のパソコンはネットワークにはつながっていず、現代からすれば、<ただの箱>だった可能性が高い。この何年かでネットワークが普及し、ネットワーク上のサービスが発達し<便利な箱>になってしまった。
便利さと引き換えのコンピュータウイルスということになる。
しかし、本当の敵はコンピュータウイルスではない。
わたしは最近便利すぎると思う。
もっと時間をかけて何かすべきなんじゃないか、とか。
もっと苦労して手に入れるべきなんじゃないか、とか。
色々と考えてしまう。
ギリシャ神話に「パンドラの箱」というものが出てくる。
「パンドラの箱」は、あけてはいけないもの、災いをもたらすものという意味で使われる言葉でもある。
パソコンはすでに「パンドラの箱」となっているようにも思う。
パソコンのせいで皆身体を使わなくなった。パソコンのせいで皆自分の頭で考えなくなった。
日常からコンピュータに慣れ親しんでいる人は、きっと言わないと思うのであえて少数意見ながら言わせてもらう。
パソコンには、心がない。
パソコンを使って便利な生活を謳歌すればするほど、わたしたちの身体と精神が離れていく。
自分でそれに気づかなければ、いずれコンピュータにわたしたちが制御される。
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