タイムラインに表示されない情報は、その人個人にとって存在しない情報となりつつある。
スマホを使う。
多くの人は数種類のアプリを一日に何度も開く。タイムラインから興味のあるものを拾って見る。
それ以外はほとんど見ることをしない。
あえて検索するなんてのは、余程興味のある分野だけだろう。
だからタイムラインに表示されない情報にふれることはほとんど無いに等しい。
アプリのアルゴリズムが提示する情報は個人の趣味趣向によって変わる。
同じ趣味趣向の者同士なら、同じ情報で多くの人たちと盛り上がることができる。
しかし、違う趣味趣向の者同士が共通して見る情報はアルゴリズムにより操作され決定権はわれわれにない。
同じ年代が集う学校のクラスメイト同士でも、ふれる情報は以前にも増して分断が発生している。(もちろん年代が違う同じ趣味趣向の人とつながり合えるメリットはあるが…)
テレビと新聞で世の中の情報を得ていた時代。
大して興味が無くてもなんとなくその時代の流行は知っていた。
現代は、一部の人に物凄く人気があっても、そのまま知らないで時が過ぎてしまうことが増えた。
わたしは隣にいる人と同じ時代に生きている気がしていた。
実はみんな違う時代を生きているのではないだろうか。
「この時代」なんて言葉は、とうに無くなっているのかもしれない。
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