毎日のようにインターネットを使っていると自分の能力を過信してしまう。
【写真/2012年10月6日16時22分27秒 東京】
インターネットの初期はパソコンで買い物ができるだけで凄いことのように感じていた。
しかし、この便利さに慣れてしまうとまず店舗に行く前に検索する、というように当たり前のようにネットの情報を使いこなしている自分に気づく。
10年前はほとんど考えられなかったことだ。
今までなら分からないことがあれば、図書館に行ってたくさんの資料の中から、それに見合った情報を探し出す必要があった。あるいは、人づてに聞き回って多くの時間を費やす必要があった。
昔であれば、何週間もかけて調べていたようなことが、現代では一瞬の検索で手に入る。
これを自分の能力と過信してしまうのだ。
検索ワードの組み合わせを考えて自分が知りたい情報を得るという能力も必要といえば必要だが、膨大な資料の中からの何かを調べてまとめるという行為に比べるとたいした能力ではない。
ネット時代はちょっとした検索のコツさえつかめば、誰もが必要な情報を瞬時に得ることができる。
もしも検索のコツが分からなければ、「ネット検索のコツ」というキーワードで検索すればいいだけの話だ。
わたしの実家にはネット環境がない。
そもそもわたしの両親や祖母はネット環境など必要ない。
テレビがあれば十分な生活を送っている。まあ、田舎なので軽トラックも必要かもしれない。
でもネットは必要ない。
ときどきインターネットが使えない環境に身をおいてみる。
「あっ、そうだ!」と思って、何か調べたいと思っても手近にあるのは辞書くらいのものだ。
思うような情報は得られない確率が高い。
図書館までは何キロもある。
誰かに聞いてもたいした情報は得られない。
だいいちわたしが知りたい「著作権のきれている日本の小説リスト」など辞書には載っていない。図書館に行って調べるのもひと苦労だ。
誰かに聞いたとしても、その誰かはネット検索で得た答えをわたしに教えるかもしれない。
ときどきインターネット環境が使えない環境に身をおくと、自分の能力のなさを痛感する。
10年前に比べて、わたしは「考える」という行為をしなくなったと思う。
今日、実家に帰省して、ネットがないと何も出来ない自分にぞっとした。
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